ミクスチャーロックイズムの巻 - ジェイロック回顧主義 #4

──前回から大分開いてしまいましたが、、、

いや、別に忘れていたわけでもネタ切れだったわけでもないです。ただこのシリーズ、異様に労力と時間が掛かるので。

要は「面倒だった」ということですね、わかります。

…。 今日の話題に入りましょうか。

ファンの耳を育てるのもアーティストの仕事だと思ってます

──前回は「hideやBUCK-TICKがマニアックな音楽性を取り入れることによりファンの耳を鍛えた」という話でした。

これはここ最近一部で言われているような「若者の洋楽離れ」の原因のひとつでもあるかも知れないんですけど、最近ウェブや雑誌見てもあまり音楽的な確信に触れたインタビューが少ない気がするんですよね。それこそ昔は「自分がロックに目覚めたアーティストは〜」「最近よく聴く○枚」みたいな企画が沢山あったんですけど。今のリスナーがそういうものを望んでいないと言われてしまえばそれまでなのかもしれないけど、むしろそこを育てるのもアーティストの仕事だと思ってますし。山下達郎がラジオ番組で自分の宣伝はさておき、おススメの音楽をひたすらかける、みたいなことって大事なんじゃないのかなと。今はブログやTwitterで自由に発言出来るわけだし、日記的なものならいざ知らす、政治や市場動向の発言するんだったら、もっと音楽の話しようよと思っています。

──雑誌では語られない話とか興味ありますしね。バンドやってる人なんかは機材関係の話も興味あると思いますし。

そうなんですよね、ギタリストなんだから「新しいギター、機材買いました」なんて話題がもっとあってもいいと思うんだけど。実際そういうの殆ど見かけません。需要が少ないとかじゃなくて、べつにそればっかりにしろということじゃなくて、たまにそういうのもあってもいいんじゃないのと思います。

実験的要素を取り入れた音楽を耳にしていたからMADのサウンドには馴染めたはず

──インダストリアルからのヘヴィロック、ミクチャーロックの流れ。そもそも“Mixture Rock(ミクチャーロック)”って和製英語ですよね?

そうですね。一般的には「ミクチャーロック=ラップヴォーカル+ヘヴィサウンド」みたいな印象が強いですよね。海外では、その手の音楽は“Rap Rock”、“Rap Metal”と言います。オルタナティヴロックからの派生したものですが、ヘヴィロックやモダンヘヴィネス、最近ではそれらを総称して、“ラウドロック”と呼んだりしますが、これらの言葉も全部和製英語です。いつから“ミクスチャー”という言葉が出来たのか、『GrindHouse』あたりの雑誌か、どこの媒体が言いだしたのか全く持って不明なんですけど。90年代後半かな? V.A.『Dance 2 Noise』のライナーノーツには、Sonic YouthやRed Hot Chili Peppersのような新しいオルタナティヴ・ロックの型を“クロスオーバー・ロック”と表現しています。“クロスオーバー”はジャズやフュージョン、即興音楽などの音楽スタイルではもっと前から使われてきた言葉で、最近のシューゲイザーやエレクトロニカ要素を混ぜたような海外のインディーバンドも“クロスオーバー・ロック”と言われてますね。一般的には「ミクチャーロック=ラップヴォーカル+ヘヴィサウンド」みたいな印象が強くて。和製英語なので、海外だと基本通じない言葉なんですが、J-ROCK好きな外国人はこの言葉が日本で生まれたことを加味して、the GazettEやlynch.のような独自の進化を遂げたヴィジュアル系のラウドロックバンドを“Mixture Rock”と指す場合もあるようです。

──では、ここではあえて日本独自のロックに敬意を込めて、“ミクスチャーロック”を使います。90年代のミクスチャーというとやっぱりTHE MAD CAPSULE MARKETSの存在はデカイですよね。

MADは、前身にあたるBERRIE時代の当初は初期BOØWYみたいなニューウェーヴなビートロックのバンドで。それからスターリン的なパンク要素が強くなり、最終的にはデジロックになって行く。人気が拡まった『MIX-ISM』『PARK』(共に1994年)の頃はサウンド的にも音楽的にも一番幅広くやっていた頃ですから。レコード会社もこの手のバンドにしては尋常じゃないくらい力を入れていたし、hideやBUCK-TICK今井寿の後押しもあったり。

──LSB(LUNA SEA・SOFT BALLET・BUCK-TICK)というイベントのオープニングアクトも務めました。

『MIX-ISM』『PARK』の時にそれぞれ渋谷公会堂でライブやってるんですよね。間に日比谷野音も。賛否両論ありましたけど、これで飛躍的にファン層は拡がりました。やっぱりそれまでMADのライブって、恐くて行きづらい人多かっただろうし。当時古参のパンクス連中と新参の黒服女子たちがロビーで揉めてる光景もよくありましたけど(苦笑)。hideにしろ、BUCK-TICKにしろ、いろいろと実験要素を取り入れた音楽を耳にしていたファンにとって、MADのサウンドは比較的すんなり馴染めたはずです。逆にその弊害もあって、耳の早かった洋楽のロックリスナーからは「MADは黒服系バンド」だと思われていた節がある。現に『GrindHouse』がMADを取り上げだし始めるのって、デジロックになってからで。ずっと後になってからなんですよね。

http://www.youtube.com/watch?v=ZCIAb1lJQdk

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横のつながり、ライブハウスのフィールドが完全に出来上がってきた

──前回「93年発売のアルバムに異色作が多い」という話が出ましたけど、94年も負けてないですね。先述のMADの2作とBUCK-TICK『Six/Nine』、SCHAFT『SWITCHBLADE』、そして海外ではKORNがデビューしてます。

KORNの1stはノンプロモーションで、口コミで時間を掛けてジワジワ売れたアルバムだからその頃はまだキてはいないです。海外だとPantera『Far Beyond Driven -脳殺-』がヒットして。HelmetやWhite Zombieあたりのバンドが“Modern Heaviness”と呼ばれるようになってきた頃ですね。日本では、SUPER JUNKY MONKEYがメジャーデビューしたのも94年。翌年にMADの創始者・室姫深がDie in Cires活動休止中にBLOODY IMITATION SOCIETYを始めます。だから、黒服系バンドの連中の多くが洋楽ラウドロックに傾向している頃です。だからそちら方面に引き込まれていったファンも多かった。この界隈のバンドって、メジャー/インディーズ問わず対バン形式が当たり前で。だから、今まではメジャーバンドのワンマンのライブにしか行かなかったようなお客さんたちが、お目当てのバンドを観に行って新たなバンドに出会う。そんな自然な流れで、バンド同士の横のつながりであるとか渋谷サイクロンや横浜FADに代表されるようなジャンルとそのハコの特色が結びついて行って、地域性とジャンルに根付いたライブハウスシーンが出来上がってきた。

──KCHC (KASHIWA CITY HARD CORE)とか

ヌンチャクね。柏のディスクユニオン頑張ってたなぁ。そうそう町田にトロピカルゴリラというバンドが居ましてね、そこのメンバーさんが町田のディスクユニオンでバイヤーをやっていて。だから町田のディスクユニオンは今よりずっと狭い店舗だったけどそっち系統はかなり充実してました。

ヌンチャクラ
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ヌンチャク
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なんとなくミクスチャーが端に追いやられてしまった感もある

──KORNと言えば、Rage Against The Machineはどうです? 1992年デビューなんですが。

RATMはね、KORNよりジワジワしてたと思いますよ。邦楽誌にRATMの名前が載ったのってBLOODY結成時の児島実(室姫)のインタビューが初だったんじゃないのかなぁ。97年のフジロックで初来日したときに赤坂BLITZで単独公演があったんですけど、オープニングアクトがMADだった。さぞかし危険なライブになるんだろうななんて思ってたんですけど、明らかにMADとレイジのファン層が違ってた。当時のRATMファンって、インテリ系の人が多くてジっとトム・モレロのプレイを凝視するって感じで。今じゃ考えられないんですけど。

──確かにRATMが騒がれ始めた頃って、音楽よりもトムの変態ギタープレイで脚光を浴びた節がありますよね。「どうやってあの音出してるんだ?」っていう注目度は大きかったように思います。

あと、客がスタンディング慣れしていないっていうのもあったのかなぁ。当時は大きめのスタンディングのハコって、渋谷ON AIR EASTと川崎クラブチッタ、ともに改装・移転前だから今より全然小さくて、キャパ800くらいだったかな。あとは新宿パワーステションと、当時新宿にあったリキッドルームが500〜600くらい。それくらいしかなかった。だから1996年に余裕で1000人超える旧・赤坂BLITZが出来た衝撃は大きかったんですよ。だから、最初は観に来ている人も勝手が解らなかった。どうやって自分居場所を確保すれば良いのか。その後は大箱のスタンディング文化が主流になって行くんですけどね、今はなき東京ベイNKホールはホールだけど、当時唯一スタンディングOKな会場でしたし。

──スタンディングだとモッシュやダイブが恐い、っていうのもあったと思うんですけど。今は一部覗いては禁止ですが、当時はその辺は寛大だった印象があります

今ほど厳しくはなかったけど、基本は禁止してましたよ。まぁ、やってるヤツはいたけど(苦笑)。あ、でもダイバーが急増したのAIR JAMのせいだ!きっと(笑)。いや、MADのライブとかダイブするヤツはそこまで多くなかったんですよ、人の上歩いてるヤツはたくさんいたけど。で、『DIGIDOGHEADLOCK』(1997年)のリリース直前にFC限定ライブがON AIR WESTであったんだけど、この時からダイブがオフィシャルでOKになったの。黒人の厳ついセキュリティが前に陣取って。それからというものの、飛ぶヤツだらけになった。今の言葉でいう“ピンチケ”みたいな騒ぐことを目当てでライブ来るヤツらが多くなった。AIR JAMの初開催が97年なんですよね、ハイスタ周りのメロコア勢って「みんなで拳あげようぜ!」みたいな連帯感があるじゃないですか。パンクスは自分勝手だからそういうのキライなんですよ。でも、なんだかMADも\Oi!! Oi!! Oi!!/って掛け声が入るようになりました。前までは\でてこいや!《゚Д゚》ゴラァァァァァァァァァァァァア!!/っていう野次ばかりだったのに。ステージに向かってツバ吐く人も居なくなった。

──ラウドロックとはいえ、ミクスチャー界隈とメロコア界隈って似ているようで似てない部分ありますからね。

ミクスチャーやってるヤツらって捻くれてるんですよね、ハードコアも。基本誰かに反抗してるし。メロコアって「青春パンク」なんて言葉もありましたけど、捻くれてない、寧ろ前向きなの。これが本当の意味で〈ポジティブ・パンク〉なんじゃないかと。結局ハイスタが尋常じゃないくらいセールス的にも成功したり、フェスブームが来て、ミクスチャーが端に追いやられてしまった感もあるんだけど。MADも硬派なイメージから脱却して温和な感じになったし、メロコア要素のある明るい楽曲もやりだしたし。

──良くも悪くもハイスタの成功、AIR JAMによってこのラウドロック、パンクシーンが幅広く世間的に認知されるようになった、と。

このシーンは、それこそMADの登場で注目を浴びたんだけど、まだまだマニアックなシーンでしたし。雑誌で取り上げられることも少なかったし情報源は主にライブハウスなんですよね。だからMADの界隈ではWRENCHが出てきたり、ハードコア寄りではCOCOBATが居たりもしたんだけど、そういうのは一部のメジャーバンドで。ライブハウスには表立ってないけどいいバンドが沢山居た。あとはテレビ神奈川。TVKは昔からMTVっぽい番組が多かったんだけど、『ビデオ星人』というラウドロックに特化した番組がありまして。有島博志氏も出てたり、洋邦問わず色んなバンドを紹介してたなぁ。このシーンの特徴としてリスナーが洋楽・邦楽をあんまり意識してないっていうのもありますね。英詞だ、日本詞だ、は二の次で。強いていうなら、気軽にライブ観られないのが海外のバンドだ、っていうくらい。

Rage Against the Machine
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Korn
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なんだかんだ、チャートを賑わせたDragon Ashの影響力って大きい

──ミクスチャーロックの成功と言えば、Dragon Ashも外せないところではあります。

ですね、良くも悪くも〈ミクスチャーロック=Dragon Ash〉のところはあると思います。最初はグランジ寄りだったのが、ヒップホップ要素を取り入れ、ブレイクのきっかけになった『陽はまたのぼりくりかえす』が1998年。海外ではKORNの弟分として登場したLimp Bizkitがダーク路線から一皮剥けて世界的にヒットした『Significant Other』が1999年。この頃じゃないですかね。ミクスチャーという言葉が世間の中で確立したのは。元々ミクスチャーやラウドロックはお茶の間に浸透する音楽ではなかったわけですし。寧ろそこを毛嫌いする連中が演ったり聴いてたりするわけで。だからなんだかんだ、チャートを賑わせたDragon Ashの影響力って大きいんじゃないかと。

──ヒップホップとロックの親和性みたいなところが完全に市民権を得たわけですよね。

ヒップホップとロック、ラップコアと言うところでは、RATMやKORNが居たし、ルーツミュージック寄りにはG.LoveやThe Jon Spencer Blues Explosionも居たし。Dragon Ashはそこをもっと日本人向きにしたんだと思います。『池袋ウエストゲートパーク』のカラーギャング、当時は「新しい形のヤンキー」とも言われて居たけど、ああいう渋谷センター街の〈チーマー〉的な“スタイリッシュなワル”のアイコンだった気もするなぁ。ORANGE RANGE、RIZEしかり、山嵐だったりとか、のちに「湘南音祭」なバンドのお頭になりますし。

Viva La Revolution
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『Californication』は守りに入っていくような印象を受けるからあまり好きじゃない

──ミクスチャーシーンって、ラップコアとまでは行かなくとも、ラップ+ロックでRed Hot Chilipeppersの影響下みたいなところもあります。

レッチリはファンクだからねぇ。でもこの界隈のベースプレイは紛れもなくフリーの影響下にありますよね、KORNのフィールディーと。「Primusのレス・クレイプールだと変態すぎるけど、フリーなら」みたいな。ちょうど昨日ラジオでクリス・ペプラーがレッチリの話をしていて。「自分は『母乳』が好き、『Californication』は年老いていく自分たちに対して守りに入っていくような印象を受けるからあまり好きじゃない」みたいなことを言っていて「あー、おれもおれも」と妙に納得したわ。確かに『Californication』はジョン・フルシアンテ復帰で盛り上がったアルバムなんだけど、正直自分が求めていたレッチリじゃなかったんだよなぁ。それならデイヴ・ナヴァロ時代の『One Hot Minute』のほうが理想のレッチリ像に近かった。ミクスチャーという言葉が出て来た頃は「レッチリが元祖ミクスチャーバンドだ」という声も多かったんだけど、『Californication』以降はそう言った声をあまり聞かなくなりました。

──確かに『Californication』やもっと後の『DEATH NOTE』でレッチリを知った世代とその上の世代ではレッチリの印象違いますよね。

落ち着いちゃったといいましょうか、最近はまたはっちゃけ始めてるみたいだけど、Incubusの方向転換は多いにアリだったけど、レッチリは流石に戸惑いました。先のラジオでクリスも驚いてたけど、『Californication』って、99年なんですよね、もっと最近だと思ってた。個人的には『One Hot Minute』あたりで人気が安定するバンドだと思ってた。そしたら更に売れたし、まさか東京ドームでレッチリを観ることになるとはね。何か正直微妙なライブだったんですけどね、U2は10万人でも40万人ライブでもゴージャス感を演出できるバンドだけど、レッチリはライブハウス的なバンドだと思うんですよね。

Californication
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──2000年代からそれこそDIR EN GREYがラウドロック化したのを皮切りにヴィジュアル系バンドによる独自のヘヴィロックシーンが出来上がったと思うんですけど。

所謂新しいタイプのミクスチャーというか、いや、それこそミクスチャーよりラウドロックというほうがしっくりくるんだけど、“Heavy Metal”の括りなんですよ、当初のDIR EN GREYの海外評価は。ラウドロックにシフトした『VULGAR』で海外評価が高まり、ディスクユニオンがHR/HMバンドとして扱うようになる。日本ではミクスチャーという言葉が浸透しすぎたために、こういったヴィジュアル系バンドが海外から“Heavy Metal”と言われるのになんだか抵抗があった人も多かったけど、海外ではOzzy OsbourneもKORNもMinistryも“Heavy Metal”だから。結局ゴス〜ニューウェーブの流れから日本の黒服文化が産まれて、さらにインダストリアルロックに発展し細分化するんだけど、結局、日本独自の黒服寄りのところに戻ってくるんだなぁ、と面白いところではありますね。MADのTAKESHIもTシャツ+ハーフパンツ姿だったのが、AA=では目の周り黒くして棒タイしてる。個人的にはこっちのほうがしっくりくるなぁと。

VULGAR
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──海外でウケたV系界隈のシーンについてはもう少し詳しく聴きたいところですが、それはまたの機会で。次回はちょっと視点を変えて黒服系統を被っていないシーンについて触れて行きたいと思っています。

先は長いな、、、

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ミクスチャーロックイズムの巻 - ジェイロック回顧主義 #4

──前回から大分開いてしまいましたが、、、

いや、別に忘れていたわけでもネタ切れだったわけでもないです。ただこのシリーズ、異様に労力と時間が掛かるので。

要は「面倒だった」ということですね、わかります。

…。 今日の話題に入りましょうか。

ファンの耳を育てるのもアーティストの仕事だと思ってます

──前回は「hideやBUCK-TICKがマニアックな音楽性を取り入れることによりファンの耳を鍛えた」という話でした。

これはここ最近一部で言われているような「若者の洋楽離れ」の原因のひとつでもあるかも知れないんですけど、最近ウェブや雑誌見てもあまり音楽的な確信に触れたインタビューが少ない気がするんですよね。それこそ昔は「自分がロックに目覚めたアーティストは〜」「最近よく聴く○枚」みたいな企画が沢山あったんですけど。今のリスナーがそういうものを望んでいないと言われてしまえばそれまでなのかもしれないけど、むしろそこを育てるのもアーティストの仕事だと思ってますし。山下達郎がラジオ番組で自分の宣伝はさておき、おススメの音楽をひたすらかける、みたいなことって大事なんじゃないのかなと。今はブログやTwitterで自由に発言出来るわけだし、日記的なものならいざ知らす、政治や市場動向の発言するんだったら、もっと音楽の話しようよと思っています。

──雑誌では語られない話とか興味ありますしね。バンドやってる人なんかは機材関係の話も興味あると思いますし。

そうなんですよね、ギタリストなんだから「新しいギター、機材買いました」なんて話題がもっとあってもいいと思うんだけど。実際そういうの殆ど見かけません。需要が少ないとかじゃなくて、べつにそればっかりにしろということじゃなくて、たまにそういうのもあってもいいんじゃないのと思います。

実験的要素を取り入れた音楽を耳にしていたからMADのサウンドには馴染めたはず

──インダストリアルからのヘヴィロック、ミクチャーロックの流れ。そもそも“Mixture Rock(ミクチャーロック)”って和製英語ですよね?

そうですね。一般的には「ミクチャーロック=ラップヴォーカル+ヘヴィサウンド」みたいな印象が強いですよね。海外では、その手の音楽は“Rap Rock”、“Rap Metal”と言います。オルタナティヴロックからの派生したものですが、ヘヴィロックやモダンヘヴィネス、最近ではそれらを総称して、“ラウドロック”と呼んだりしますが、これらの言葉も全部和製英語です。いつから“ミクスチャー”という言葉が出来たのか、『GrindHouse』あたりの雑誌か、どこの媒体が言いだしたのか全く持って不明なんですけど。90年代後半かな? V.A.『Dance 2 Noise』のライナーノーツには、Sonic YouthやRed Hot Chili Peppersのような新しいオルタナティヴ・ロックの型を“クロスオーバー・ロック”と表現しています。“クロスオーバー”はジャズやフュージョン、即興音楽などの音楽スタイルではもっと前から使われてきた言葉で、最近のシューゲイザーやエレクトロニカ要素を混ぜたような海外のインディーバンドも“クロスオーバー・ロック”と言われてますね。一般的には「ミクチャーロック=ラップヴォーカル+ヘヴィサウンド」みたいな印象が強くて。和製英語なので、海外だと基本通じない言葉なんですが、J-ROCK好きな外国人はこの言葉が日本で生まれたことを加味して、the GazettEやlynch.のような独自の進化を遂げたヴィジュアル系のラウドロックバンドを“Mixture Rock”と指す場合もあるようです。

──では、ここではあえて日本独自のロックに敬意を込めて、“ミクスチャーロック”を使います。90年代のミクスチャーというとやっぱりTHE MAD CAPSULE MARKETSの存在はデカイですよね。

MADは、前身にあたるBERRIE時代の当初は初期BOØWYみたいなニューウェーヴなビートロックのバンドで。それからスターリン的なパンク要素が強くなり、最終的にはデジロックになって行く。人気が拡まった『MIX-ISM』『PARK』(共に1994年)の頃はサウンド的にも音楽的にも一番幅広くやっていた頃ですから。レコード会社もこの手のバンドにしては尋常じゃないくらい力を入れていたし、hideやBUCK-TICK今井寿の後押しもあったり。

──LSB(LUNA SEA・SOFT BALLET・BUCK-TICK)というイベントのオープニングアクトも務めました。

『MIX-ISM』『PARK』の時にそれぞれ渋谷公会堂でライブやってるんですよね。間に日比谷野音も。賛否両論ありましたけど、これで飛躍的にファン層は拡がりました。やっぱりそれまでMADのライブって、恐くて行きづらい人多かっただろうし。当時古参のパンクス連中と新参の黒服女子たちがロビーで揉めてる光景もよくありましたけど(苦笑)。hideにしろ、BUCK-TICKにしろ、いろいろと実験要素を取り入れた音楽を耳にしていたファンにとって、MADのサウンドは比較的すんなり馴染めたはずです。逆にその弊害もあって、耳の早かった洋楽のロックリスナーからは「MADは黒服系バンド」だと思われていた節がある。現に『GrindHouse』がMADを取り上げだし始めるのって、デジロックになってからで。ずっと後になってからなんですよね。

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──前回「93年発売のアルバムに異色作が多い」という話が出ましたけど、94年も負けてないですね。先述のMADの2作とBUCK-TICK『Six/Nine』、SCHAFT『SWITCHBLADE』、そして海外ではKORNがデビューしてます。

KORNの1stはノンプロモーションで、口コミで時間を掛けてジワジワ売れたアルバムだからその頃はまだキてはいないです。海外だとPantera『Far Beyond Driven -脳殺-』がヒットして。HelmetやWhite Zombieあたりのバンドが“Modern Heaviness”と呼ばれるようになってきた頃ですね。日本では、SUPER JUNKY MONKEYがメジャーデビューしたのも94年。翌年にMADの創始者・室姫深がDie in Cires活動休止中にBLOODY IMITATION SOCIETYを始めます。だから、黒服系バンドの連中の多くが洋楽ラウドロックに傾向している頃です。だからそちら方面に引き込まれていったファンも多かった。この界隈のバンドって、メジャー/インディーズ問わず対バン形式が当たり前で。だから、今まではメジャーバンドのワンマンのライブにしか行かなかったようなお客さんたちが、お目当てのバンドを観に行って新たなバンドに出会う。そんな自然な流れで、バンド同士の横のつながりであるとか渋谷サイクロンや横浜FADに代表されるようなジャンルとそのハコの特色が結びついて行って、地域性とジャンルに根付いたライブハウスシーンが出来上がってきた。

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なんとなくミクスチャーが端に追いやられてしまった感もある

──KORNと言えば、Rage Against The Machineはどうです? 1992年デビューなんですが。

RATMはね、KORNよりジワジワしてたと思いますよ。邦楽誌にRATMの名前が載ったのってBLOODY結成時の児島実(室姫)のインタビューが初だったんじゃないのかなぁ。97年のフジロックで初来日したときに赤坂BLITZで単独公演があったんですけど、オープニングアクトがMADだった。さぞかし危険なライブになるんだろうななんて思ってたんですけど、明らかにMADとレイジのファン層が違ってた。当時のRATMファンって、インテリ系の人が多くてジっとトム・モレロのプレイを凝視するって感じで。今じゃ考えられないんですけど。

──確かにRATMが騒がれ始めた頃って、音楽よりもトムの変態ギタープレイで脚光を浴びた節がありますよね。「どうやってあの音出してるんだ?」っていう注目度は大きかったように思います。

あと、客がスタンディング慣れしていないっていうのもあったのかなぁ。当時は大きめのスタンディングのハコって、渋谷ON AIR EASTと川崎クラブチッタ、ともに改装・移転前だから今より全然小さくて、キャパ800くらいだったかな。あとは新宿パワーステションと、当時新宿にあったリキッドルームが500〜600くらい。それくらいしかなかった。だから1996年に余裕で1000人超える旧・赤坂BLITZが出来た衝撃は大きかったんですよ。だから、最初は観に来ている人も勝手が解らなかった。どうやって自分居場所を確保すれば良いのか。その後は大箱のスタンディング文化が主流になって行くんですけどね、今はなき東京ベイNKホールはホールだけど、当時唯一スタンディングOKな会場でしたし。

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今ほど厳しくはなかったけど、基本は禁止してましたよ。まぁ、やってるヤツはいたけど(苦笑)。あ、でもダイバーが急増したのAIR JAMのせいだ!きっと(笑)。いや、MADのライブとかダイブするヤツはそこまで多くなかったんですよ、人の上歩いてるヤツはたくさんいたけど。で、『DIGIDOGHEADLOCK』(1997年)のリリース直前にFC限定ライブがON AIR WESTであったんだけど、この時からダイブがオフィシャルでOKになったの。黒人の厳ついセキュリティが前に陣取って。それからというものの、飛ぶヤツだらけになった。今の言葉でいう“ピンチケ”みたいな騒ぐことを目当てでライブ来るヤツらが多くなった。AIR JAMの初開催が97年なんですよね、ハイスタ周りのメロコア勢って「みんなで拳あげようぜ!」みたいな連帯感があるじゃないですか。パンクスは自分勝手だからそういうのキライなんですよ。でも、なんだかMADも\Oi!! Oi!! Oi!!/って掛け声が入るようになりました。前までは\でてこいや!《゚Д゚》ゴラァァァァァァァァァァァァア!!/っていう野次ばかりだったのに。ステージに向かってツバ吐く人も居なくなった。

──ラウドロックとはいえ、ミクスチャー界隈とメロコア界隈って似ているようで似てない部分ありますからね。

ミクスチャーやってるヤツらって捻くれてるんですよね、ハードコアも。基本誰かに反抗してるし。メロコアって「青春パンク」なんて言葉もありましたけど、捻くれてない、寧ろ前向きなの。これが本当の意味で〈ポジティブ・パンク〉なんじゃないかと。結局ハイスタが尋常じゃないくらいセールス的にも成功したり、フェスブームが来て、ミクスチャーが端に追いやられてしまった感もあるんだけど。MADも硬派なイメージから脱却して温和な感じになったし、メロコア要素のある明るい楽曲もやりだしたし。

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このシーンは、それこそMADの登場で注目を浴びたんだけど、まだまだマニアックなシーンでしたし。雑誌で取り上げられることも少なかったし情報源は主にライブハウスなんですよね。だからMADの界隈ではWRENCHが出てきたり、ハードコア寄りではCOCOBATが居たりもしたんだけど、そういうのは一部のメジャーバンドで。ライブハウスには表立ってないけどいいバンドが沢山居た。あとはテレビ神奈川。TVKは昔からMTVっぽい番組が多かったんだけど、『ビデオ星人』というラウドロックに特化した番組がありまして。有島博志氏も出てたり、洋邦問わず色んなバンドを紹介してたなぁ。このシーンの特徴としてリスナーが洋楽・邦楽をあんまり意識してないっていうのもありますね。英詞だ、日本詞だ、は二の次で。強いていうなら、気軽にライブ観られないのが海外のバンドだ、っていうくらい。

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──ミクスチャーロックの成功と言えば、Dragon Ashも外せないところではあります。

ですね、良くも悪くも〈ミクスチャーロック=Dragon Ash〉のところはあると思います。最初はグランジ寄りだったのが、ヒップホップ要素を取り入れ、ブレイクのきっかけになった『陽はまたのぼりくりかえす』が1998年。海外ではKORNの弟分として登場したLimp Bizkitがダーク路線から一皮剥けて世界的にヒットした『Significant Other』が1999年。この頃じゃないですかね。ミクスチャーという言葉が世間の中で確立したのは。元々ミクスチャーやラウドロックはお茶の間に浸透する音楽ではなかったわけですし。寧ろそこを毛嫌いする連中が演ったり聴いてたりするわけで。だからなんだかんだ、チャートを賑わせたDragon Ashの影響力って大きいんじゃないかと。

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『Californication』は守りに入っていくような印象を受けるからあまり好きじゃない

──ミクスチャーシーンって、ラップコアとまでは行かなくとも、ラップ+ロックでRed Hot Chilipeppersの影響下みたいなところもあります。

レッチリはファンクだからねぇ。でもこの界隈のベースプレイは紛れもなくフリーの影響下にありますよね、KORNのフィールディーと。「Primusのレス・クレイプールだと変態すぎるけど、フリーなら」みたいな。ちょうど昨日ラジオでクリス・ペプラーがレッチリの話をしていて。「自分は『母乳』が好き、『Californication』は年老いていく自分たちに対して守りに入っていくような印象を受けるからあまり好きじゃない」みたいなことを言っていて「あー、おれもおれも」と妙に納得したわ。確かに『Californication』はジョン・フルシアンテ復帰で盛り上がったアルバムなんだけど、正直自分が求めていたレッチリじゃなかったんだよなぁ。それならデイヴ・ナヴァロ時代の『One Hot Minute』のほうが理想のレッチリ像に近かった。ミクスチャーという言葉が出て来た頃は「レッチリが元祖ミクスチャーバンドだ」という声も多かったんだけど、『Californication』以降はそう言った声をあまり聞かなくなりました。

──確かに『Californication』やもっと後の『DEATH NOTE』でレッチリを知った世代とその上の世代ではレッチリの印象違いますよね。

落ち着いちゃったといいましょうか、最近はまたはっちゃけ始めてるみたいだけど、Incubusの方向転換は多いにアリだったけど、レッチリは流石に戸惑いました。先のラジオでクリスも驚いてたけど、『Californication』って、99年なんですよね、もっと最近だと思ってた。個人的には『One Hot Minute』あたりで人気が安定するバンドだと思ってた。そしたら更に売れたし、まさか東京ドームでレッチリを観ることになるとはね。何か正直微妙なライブだったんですけどね、U2は10万人でも40万人ライブでもゴージャス感を演出できるバンドだけど、レッチリはライブハウス的なバンドだと思うんですよね。

Californication
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──2000年代からそれこそDIR EN GREYがラウドロック化したのを皮切りにヴィジュアル系バンドによる独自のヘヴィロックシーンが出来上がったと思うんですけど。

所謂新しいタイプのミクスチャーというか、いや、それこそミクスチャーよりラウドロックというほうがしっくりくるんだけど、“Heavy Metal”の括りなんですよ、当初のDIR EN GREYの海外評価は。ラウドロックにシフトした『VULGAR』で海外評価が高まり、ディスクユニオンがHR/HMバンドとして扱うようになる。日本ではミクスチャーという言葉が浸透しすぎたために、こういったヴィジュアル系バンドが海外から“Heavy Metal”と言われるのになんだか抵抗があった人も多かったけど、海外ではOzzy OsbourneもKORNもMinistryも“Heavy Metal”だから。結局ゴス〜ニューウェーブの流れから日本の黒服文化が産まれて、さらにインダストリアルロックに発展し細分化するんだけど、結局、日本独自の黒服寄りのところに戻ってくるんだなぁ、と面白いところではありますね。MADのTAKESHIもTシャツ+ハーフパンツ姿だったのが、AA=では目の周り黒くして棒タイしてる。個人的にはこっちのほうがしっくりくるなぁと。

VULGAR
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#1
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──海外でウケたV系界隈のシーンについてはもう少し詳しく聴きたいところですが、それはまたの機会で。次回はちょっと視点を変えて黒服系統を被っていないシーンについて触れて行きたいと思っています。

先は長いな、、、

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ミクスチャーロックイズムの巻 - ジェイロック回顧主義 #4」への2件のフィードバック

  1. 正直この記事大好きなんで早く続き書いてほしいです。
    こういうことを語ってくれることが回りにもインターネットにもなかったんですよ~
    本当にありがたいです。
    もしかしてフェイスブックにもっと詳しいことかいてますか?やろうかなフェイスブック。

    • 有難うございます。
      そう言っていただけて光栄です。
      なにぶん、このシリーズ書くのに労力というか勢いが必要なので中々先に進まず申し訳ありません。
      ネタは沢山あるし、今まとめたりもしておりますので近日中には、、、
      Facebookは長文書いてないですね、ここの更新通知と動画ネタがメインになっております。

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