大きなおっさんバンドの下での巻 - ジェイロック回顧主義 #12

将軍:余談なんだけど、アーティストモデルも作ってるハイエンドギター工房がさ、ライブハウス規模のバンドとアリーナクラスのバンドのモデルだと、組み込み方、材の選び方も変えるって。

執権:それは「アリーナクラス=売れてる→宣伝効果抜群」じゃなくて?

将軍:ちげーよ。アリーナクラスだとLowの回り方がシビアだったりするわけじゃん。だからそこの周波帯を気にする重量バランスとか。それが全てじゃないし、音楽ジャンルにもよると思うけど妙に納得したなぁ。アンプの調整やPAでどうにもならない部分があるよ、耳に聴こえない帯域とか。

執権:ベースだと特に影響するかもね。レコーディング用とライブ用分けてる人も多いし。あとは当たり前だけど、機材のセッティングもそうだろうな。アマチュアのとき、始めてスタジオに入ったとき、上手く音作りが出来ないとか、リハスタでばっちりだと思っていざ本番に臨んだら全く音が抜けてないなんてよくある話で。ライブハウスとアリーナクラスでもそういうのあるだろうね、経験がものを言う。

将軍:前にとあるギタリストが「ライブハウスだろうが、ドームだろうが、アンプのセッティングも音量もそのままですよ」と言ってたけど、本人はそのつもりでもギターテックが色々頑張ってんだよ!

大きな玉ねぎの下で

──ちょっと前になっちゃうけど、怒髪天のライブ良かったよね

ベテランおっさんバンドの生き様というか。貫録と風格、そして何よりも楽しんでやろうっていう気迫っていうのかな。最近はバンドもアイドルも猫も杓子も武道館じゃん。昔は成功者の象徴だったものが、そうじゃなくなってきている。話題性宣伝目的な意味合いが強くなってるんだよねぇ、武道館公演という既成事実を作りたいだけというかさ。主催者側も売り切れると思ってやってない気もする。お客さんが増えてきたから会場を大きくするんじゃなくて、武道館抑えてからどう埋めよう?っていうさ、ファンも本当に出来るの?と。そこは音楽を知ってもらうための音源じゃなくて、音源作ってからどう売ろうっていう本末転倒な感じ。そういうドラマ性みたいなものが今ウケているのもあるけど。

──今回も怒髪天もそういう要素もあったけど、ちょっと違ったよね。キャリアも充分にあるからこその説得力と意地みたいなところ、そして何よりも本人主導。これは大きいと思った。ブームの波に乗りましたというような大人の力、商業臭がしない感じ。

本人たちの意識よりも事務所側の思惑が勝っちゃってる場合、客入りやステージセットじゃない部分が気になるんだよ。アーティストとしての魅せ方の部分、正直、時期早々じゃない?というのもある。

──演者がステージの大きさや客の多さに負けてしまう、みたいな?

そうそう。だって、ライブハウスしかやったことないバンドがいきなり武道館やってもダメでしょ。勿論やってる音楽によって、小さいハコ向きだったり、アリーナクラスが栄える、色々あるけど。でもそれを抜きにしても、動きだったり目線だったり、客の煽り一つとっても大箱仕様ってのがある。

──昨日今日パっと出てきたヤツらが立てるもんじゃないと。

うん、そういうの古い考え方なのかもしれないけど。ブームに乗って、ひょんなことから一気に売れちゃう場合があるじゃない。正直、人気と実力が伴っていないというかさ。バンドブームでもそういうバンド沢山いたんだけどね。でも結局消えちゃった人多いしさ。

──でも、今はCD売上が「アーティストの売れてる指標」にはならない、解らないじゃん。だからこそ「武道館公演」というネームバリューが欲しいんじゃないかとも。

それはあるなぁ、90年代後半からタイアップ至上と商業的音楽への反動もあって、「売れたいとは思わない」アーティストが増えてさ。メジャーよりもインディーズで活動するのがカッコイイ、のような。それが近年は皆メジャーデビューするし、今まで武道館を避けていたアーティストもやるようになったという、まぁ、時代の流れか。

ライブハウス武道館へようこそ

──そもそも武道館神話っていつくらいから始まったんだろうって話なんだけど。まず、ビートルズがやって、外タレバンドがやるようになって。

元々コンサートやる会場ではなかったでしょう。だからビートルズのときは音響設備ナシでやったというのは有名な話。ヴォーカルは勿論PA通したけど、ドラムは完全生音、ギターとベースはアンプからの音だけ。だから実際は殆ど聴こえなかったらしいんだけど。
あとは、ビッグ・イン・ジャパンってあるじゃん?

──日本でしか人気のないアーティスト。

その代表格だったチープ・トリック(Cheap Trick)、78年の武道館公演を収録したアルバム『チープ・トリックat武道館(Cheap Trick at Budokan)』、これ最初は日本限定発売だったんだけど、これが逆輸入という形で本国アメリカでヒットする。当時は日本でしか知られていないバンドだったから。同様にディープ・パープル(Deep Purple)を脱退したイアン・ギランが出した『Live At The Budokan(1978年)』、これも当初は日本限定だったけど、1982年にイギリスで再発されて再評価されたり。
ビッグ・イン・ジャパンじゃないけど、パープルは『Live in Japan(洋題:Made In Japan)(1972年)』という大名盤もあるわけで。その辺で海外にも“Budokan”は知れ渡ったし、日本人にとってもロックの殿堂というイメージが定着した。

──日本だと、ザ・タイガースやYMOの解散、山口百恵のラストコンサートだったり、最後の節目として使用されるようになって。矢沢永吉、浜田省吾、長渕剛、THE ALFEEは別として、ロックバンドとしてはBOØWYで一躍有名になるのかな。初?

その前に爆風スランプやEARTHSHAKERもやってたんだけど、話題含めて一般化したのはBOØWYだろうねぇ。でも当時のBOØWYは人気とセールスが伴っていないバンドで。ロックバンドが今みたいに一般化してなかったのもあるけど、知る人ぞ知るバンドだったわけですよ、ヒット曲もないし。
今では伝説化されて、さぞかし売れたバンドとされているけど、実はオリコン1位になったシングルは7枚中『MARIONETTE(1987年)』の1枚だけ。最も売れたアルバムが『PSYCHOPATH(1987年)』、当時の年間売上はLP、CD、カセット合わせて49万枚。

──90年代のバンドと比べるのも酷だけど、もっと売れてる印象あるよね。

ただロングセラーだから。91,2年頃には80万枚くらい売れてたはず。
初武道館公演時のツアー、アルバム『JUST A HERO(1986年)』がオリコン5位、シングル『わがままジュリエット』が39位。ただ、ライブ動員はもっと前から凄かったから全然武道館でやれる人気はあったんだけど。今みたいに情報拡散手段が殆どなくて、テレビで流行っていると言われているものが正義と思われていた時代だから、

──世間一般的には、ヒットも知名度もない、よく解らないお化粧して髪立ててるバンドが、まだ数少ないアーティストしか立ったことのないステージに立って。それで「ライブハウス武道館へようこそ」は話題になるよね。

まぁ、なんだろうね、そういう思い入れもあるからやっぱり武道館は特別なんですよ、我々中年世代にとっては。だからあまり容易に立って欲しくないなぁなんて。寧ろ、昔のライブハウスみたいに出演オーディションして欲しいくらいだもん。勝手な思い、これはおっさんの苦言というか悲しいところでもある。

──時代の流れとは解っていてもちょっと悲しいよね、価値観や有り難みの部分で。

だから、話は戻るけど、怒髪天は実力もキャリアも経験も十二分すぎるあるバンドだからさ。余裕が違うなぁと。
寧ろ、もっとこういうバンドが武道館でやるべきなんだよ、とも思ったりね。武道館でやったらかっこいいだろうなと思うバンドが結構いるよね。そこはより好みではなく。若い連中に無理してやらせるなら、お宅の事務所やレコード会社にはもっとふさわしいアーティストがいるじゃないですか、ってさ。

中年バンドの凄み

──なんだろ、こういう言い方失礼かもしれないけど、さっきの話じゃないけどバンドブームで波に乗せられたバンドが居て、消えてったバンドも多くて。でも日の目を見ずに長く続けてるバンドも居て、遅咲きとは言えど、世間的に認知されるようになったり。

バンドって長くやれば色々あるし、音楽の幅拡げたり、マニアックなところに行く場合もあるけど、不器用ながらもこれしか出来ない潔さみたいなところも、普遍的なロックの魅力でもあるわけで。やっぱりそういうバンドはカッコイイよ。

「前から売れなきゃおかしいと思ってたよ」なんてことは、言わない

──でも、怒髪天ってここ数年でいきなり来たよね?桃屋のCMだっけ?元々はバンドブームの延長戦上にいたバンドだったじゃん。
(1984年結成、91年メジャーデビュー、96年活動休止、99年インディーズで活動再開、2004年再メジャーデビュー)

イカ天のさ、ちょっと変わったバンド路線を継承してる印象が強かったよ。1stアルバムが北島三郎の題字だったことで話題になってた。当時はヤクザみたいだったな。正直、好んで聴く感じではなかった、というのが本音。だから活動休止してたことも知らなかったし。あとはさ、DMBQのほうが有名になっちゃったじゃん。

──弟の増子真二氏かぁ。確かにその界隈ではサイケ、インプロヴァイゼーションロックの立て役者なイメージ強いし、ギター弾きエフェクター好きにはたまらなかった。機材関連の雑誌も結構出てたし、サブカル文化にも精通してた。

だから、DMBQの兄がいるバンドが怒髪天、みたいな印象が強くなっちゃったんだよ。で、その後、BUGY CRAXONEが怒髪天主催のNorthern Blossom Recordsに移籍したときに思い出したようにちょこちょこチェックするようになって。で、気が付いたら人気出てた。
「前から好きで売れなきゃおかしいと思ってたよ」なんてことは、言わないよ。だって申し訳ないけどこんなに人気出るとは思ってなかったもん(笑)

──一回インディーズになって、再デビューしてブレイクと言えば、エレファントカシマシ。これも昔は変なバンドだったよなぁ。
(1981年結成、88年メジャーデビュー、94年にインディーズ、96年再メジャーデビュー)

名前も曲もインパクト強かったからさ、とりあえずみんな知ってたけど。
TVKでさ、ディスクガレージと大晦日に年越しLIVEやってたんだよ。新宿コマ劇場で。それが雑誌PATi-PATiが絡んで渋谷公会堂に移った、92年にさ、ブルーハーツやジュンスカも出てたんだけど、開場〜開演の客入れ時間にいきなり出てきて演奏始めたのよ。あの宮本節炸裂で『奴隷天国』歌いながら客を怒鳴りつけてるっていう。盛り上がるもへったくれもなかったよ、皆ドン引きしてた。あの印象が未だにあるなぁ、エレカシは。

──そう考えると宮本先生も増子兄貴も大層丸くなられました。両者とも苦労してるもんね。

3Pバンドがヤバイ

──怒髪天の同郷の北海道で遅咲きブレイクと言えば、the pillows。1989年結成、91年メジャーデビュー。90年代後半あたりからじわじわと昇ってきた印象も強いけど、世間的に火がついたのはガイナックスのOVA『フリクリ』で楽曲が使用されてからになるのかな。20周年となる2009年に初の日本武道館公演。

当時はKENZI&THE TRIPSのベース(上田ケンジ)とTHE POGO(佐藤シンイチロウ)の新バンド、っていう触れ込みだったから。そっちの音を想像してたら、何か肩透かししちゃった印象がある。

──宝島社のキャプテンレコードだったしね。確かにそれならパンク路線だと思ってもおかしくはない。

それに佐藤シンイチロウって、ブルーハーツのドラムもやっててさ。あの頃、やたら海賊盤売ってたじゃん。多分関係者が横流ししてたんじゃないかと思ってるんだけど、デモテープやら明らかにライブハウスの記録用映像とかさ、普通のTDKやマクセルのテープで売ってるの。明らかにダビングしt、中野あたりにそういう店があって。

──あー、あー、あー、あった、あった。当時のインディーズバンドの音源は勿論だったけど、BOØWYやBUCK-TICKあたりのメジャーになってるバンドのマル秘なヤツも沢山売ってたわ。

そうそう、BOØWYのLAST GIGS完全版やら、新宿ロフトの未発表映像が遂に初映像化!だなんて近年話題になったけど、こっちは本当の完全版をもっと前からすり切れるくらい見てたから、完全版とかいってMCカットしてんじゃねーか!と発狂してたけど。
で、その関係でブルーハーツのシンイチロウ時代の映像をかなり見てたわけですよ。

──ブルハが一番ヤバかった時代かな。

うん、ヒロトが下脱ぐのは勿論、$&^%したり、!#$@したり、、、当時のパンクス雑誌DOLLが、「パンクスは金がないから●●を喰う!」なんつって、料理方法なんかが載ってた時代だよ。

──それはあれだな…(苦笑)

あと、当時はカタカナ表記が多くて、The ピーズとごっちゃになってた。すいません当時はそんくらいあまり関心がありませんでした。

──『ストレンジ カメレオン(1996年シングル)』で割と名前が知られるようになった印象あるよね。

うん、だからちゃんと聴くようになったのはその頃だなぁ。『ストレンジ カメレオン』は結構ラジオでも耳にしたし、TVKでもよく流れてた。でもその前に某雑誌の〈『KOOL SPICE』のレコ評が最悪だった〉事件があったじゃん?あれでパンクだなぁと思って意識するようになったんだけど。
で、90年代後半にブリットポップブームが来るじゃない?その流れで下北ギターロックと呼ばれたムーブメントがあって。その洗礼をもろに受けた連中がウチの周りだけかもしれないけど「3Pバンドがヤバイ!」って言いだしたのよ。pillows、pre-school、POLYSICSなんだけど。

──「3Pバンド」なんて聞いたことないなぁ。それいつくらい?

だからウチらの周りだけかもって。丁度2000年問題うんちゃら言ってた頃だから1999年、pre-schoolが名盤題名無しアルバム、POLYが『A・D・S・R・M!』出して話題になってた頃。Blurがブリットポップからの脱却を図った『Blur(1997年)』から更に波紋を呼んだオルタナアルバム『13』が出た年。pillowsが快作『LITTLE BUSTERS(1998年)』から『RUNNERS HIGH(1999年)』を挟んでオルタナロックな『HAPPY BIVOUAC(1999年)』この辺の流れが実に良い。ピクシーズ(Pixies)に影響されてたみたいだけど。

──それで、フリクリの『Ride on shooting star(2000年)』が来るわけか。

──この流れでいくと、あのバンドの話をしたいわけですが、それはまた次回かな。

Do The Downloard!

──なんだよ、いきなり!ウチ、ダウンロードするものないし…

いやぁ、だって一度言ってみたかったんだもん。だってその話でしょ?

──あぁ…


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