メイド・イン・ジャパンの価値とその日本の業界周り

「日本はなぜ世界で弱いのか」海外の友人に指摘された日本の問題 | Fashionsnap.com

物凄く興味深い記事でした。
ファッション業界を例にあげ、近年の日本のブランドの地位について述べている。それは様々な方面・業界でも同じこと。

かつて日本は明治維新により西洋列強国に負けない国造りをした。戦後の日本は高度経済成長期に世界に誇る“MADE IN JAPAN”というブランドを作り上げた。
ウェブ界隈でトレンドになっている、フラットデザイン。日本は文字を含めフラットデザインに向いていないという声もあるようだが、元々「詫び・寂」、隙間や空間を大事にするのは日本風情ならではの感性。市松模様のような和柄、家紋含め、シンプルかつ、ミニマルなデザインというのは本来日本が得意とするものである。
無駄を省いたデザインで代表される北欧家具、かのアルネ・ヤコブセンは日本の家具にインスパイアされたものが多いという。

そんな日本本来の心意気、功績が崩れつつある。

近年は「ガラパゴス化」なんて言葉が色んな方面で自虐ネタ的に扱われ、どんどん日本のブランドは内向的になっている。それはファッション業界、電化製品に限らないこと。

音楽方面で言えば、例えばギター業界。今、楽器店に並んでいるギターメーカーのうち、日本のブランド率はどんなものか。70年代に世界市場に躍り出たテスコは当の昔にその姿はなく、並んで、日本を代表するグヤトーン(東京サウンド株式会社)は今年2013年1月に倒産。80年代にフェンダー、ギブソンの良質コピーから90年代にミュージシャンモデルなどでギター界を席巻したフェルナンデス、グレコ、、、あの勢いはどこへ行ってしまったのか。

アジアブランドを始めとする低価格競争やフェンダー、ギブソンの普遍なスタイルに回帰している風潮による影響はあるにせよ、そこは電化製品と同じ、価格だけではない部分、技術やデザイン、ブランドイメージ、マーケティング能力、様々な部分での戦略不足であることは否めない気がする。現にアイバニーズのように60年代から時代に合わせた戦略と独自性で、未だに尚世界において確固たる地位を確立している日本のメーカーも存在している。

エンターテインメント、音楽業界も同じ。いつぞやの「日本はまだCDが売れているので大丈夫だ」発言にも驚いたものだが、日本の音楽業界のお偉いさんたちは海外市場と日本市場は別モノだと思っている。確かに現状、別モノであることであることに間違いはない。だが、寧ろそのガラパゴス状態に少しでも危機感を覚えて欲しい部分もあるのだが。そんな人たちが今、「クールジャパン」を掲げて世界市場に進出しようとしている。
某大臣のドレス騒動然り、まるで何がウケているのかが解っていない。ここは何度も触れているが、今海外で人気のある音楽・アニメ文化は元々、海外意識をしていなく、且つ依存していないものであること、特に海外に向けての戦略を立てていないものが自然発生的に評価され、結果、人気を博している。それを利用して、海外進出することは決して間違っているわけではないが、それを誤った理解でクールジャパンとして売り込んでしまうのはいかがなものか。日本国内で人気があるものでないと、海外進出してはならないという暗黙の諒解がある気がする。逆に言えば、日本で人気があるなら海外でも人気が出るだろうと。

それでふと、思い出したのが2年前のこの記事。

世界の音楽シーンを席巻しながらも、国内メディアでは黙殺されてきた”世界で最も知られる日本のバンド”Boris。その知られざる実態に迫る! | EYESCREAM.JP

Borisと言えば、Monoと並んで世界で一番有名な日本のアーティスト。だけど、国内の知名度な如何なものか?ヘヴィロックだから、マニアライクな音楽だから、と言うのはお門違いも甚だしい偏見でしかない。
このインタビュー、世界的人気のある日本のアーティストの発言ということで重みも説得力もあり、改めて読めば読むほど隅から隅まで興味深い話題が満載なのだが、やはり注目すべきは記事表題に対する答えの部分。

僕らは日本の音楽業界に参加してないし、「Borisの功績を伝えたところで私たちに何の得がある?」っていう話なんだと思うんですよ。だから、伝わっていかないですよね。

結局、日本のメディアにとってはインディーズのヘヴィロックバンドが海外でウケていることよりも、日本で100万枚売れているようなグループが海外進出したほうが、話題性も宣伝にもなる。実際、海外ウケがそれほどではなくとも、既成事実と書き方によっていくらでもどうにかなる。実際「○○が世界何十カ国でリリース決定!!」というニュースはよく見るが、その後のセールス実数等に関わるところに触れていることは皆無に等しい。
この辺りは諄いくらい述べているが、日本人が思っている海外での人気アーティストと、実際海外で人気のあるアーティストはかなり落差がある。

日本のほとんどのメディアに自主性や批評性はないですよね。ただここ数年、紙媒体がどんどん追い込まれてきて、状況は変わってきてるとは思う。

紙媒体は益々追い込まれてきて、今はネットによるニュースが主流になっている。そして、Twitterによる即効性。誰よりも早く情報をTwitterに流すことだけに集中してきている気がする。事実関係だけを述べる内容のない音楽ニュースだらけで溢れ返ってる。「ユーザーの取捨選択、ジャンルに捕われず、幅広いニュースを提供していきたい」なんていうのは建前で、結局質より量、数打てば当たる、やはりそこに自主性や批評性はない。平等性という言葉で逃げる、ちょっと皮肉めいたことを書けば、ユーザーから反感を買う、時に炎上する。それが怖くてニュースサイトは変なこと書けない。

ウェブデザイン関連、WordPressなどの情報を調べようとすると、「オシャレでクールなデザイン20選」のようなブログ記事が数多くヒットする。しかも内容はどれも殆ど同じ。海外の注目すべきデザインブログ記事のコピー&ペーストだ。そのコピペサイトを他のコピペサイトがコピペする。そんな予兆が音楽・エンターテインメント関連のサイトやブログに見えてきている気がする。

かなり前だが、かつて、近田春夫がこんなことを言っていた。

 みんなさ、音楽が好きってことより、応援したり非難したりするのが好きなんじゃないの。

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メイド・イン・ジャパンの価値とその日本の業界周り

「日本はなぜ世界で弱いのか」海外の友人に指摘された日本の問題 | Fashionsnap.com

物凄く興味深い記事でした。
ファッション業界を例にあげ、近年の日本のブランドの地位について述べている。それは様々な方面・業界でも同じこと。

かつて日本は明治維新により西洋列強国に負けない国造りをした。戦後の日本は高度経済成長期に世界に誇る“MADE IN JAPAN”というブランドを作り上げた。
ウェブ界隈でトレンドになっている、フラットデザイン。日本は文字を含めフラットデザインに向いていないという声もあるようだが、元々「詫び・寂」、隙間や空間を大事にするのは日本風情ならではの感性。市松模様のような和柄、家紋含め、シンプルかつ、ミニマルなデザインというのは本来日本が得意とするものである。
無駄を省いたデザインで代表される北欧家具、かのアルネ・ヤコブセンは日本の家具にインスパイアされたものが多いという。

そんな日本本来の心意気、功績が崩れつつある。

近年は「ガラパゴス化」なんて言葉が色んな方面で自虐ネタ的に扱われ、どんどん日本のブランドは内向的になっている。それはファッション業界、電化製品に限らないこと。

音楽方面で言えば、例えばギター業界。今、楽器店に並んでいるギターメーカーのうち、日本のブランド率はどんなものか。70年代に世界市場に躍り出たテスコは当の昔にその姿はなく、並んで、日本を代表するグヤトーン(東京サウンド株式会社)は今年2013年1月に倒産。80年代にフェンダー、ギブソンの良質コピーから90年代にミュージシャンモデルなどでギター界を席巻したフェルナンデス、グレコ、、、あの勢いはどこへ行ってしまったのか。

アジアブランドを始めとする低価格競争やフェンダー、ギブソンの普遍なスタイルに回帰している風潮による影響はあるにせよ、そこは電化製品と同じ、価格だけではない部分、技術やデザイン、ブランドイメージ、マーケティング能力、様々な部分での戦略不足であることは否めない気がする。現にアイバニーズのように60年代から時代に合わせた戦略と独自性で、未だに尚世界において確固たる地位を確立している日本のメーカーも存在している。

エンターテインメント、音楽業界も同じ。いつぞやの「日本はまだCDが売れているので大丈夫だ」発言にも驚いたものだが、日本の音楽業界のお偉いさんたちは海外市場と日本市場は別モノだと思っている。確かに現状、別モノであることであることに間違いはない。だが、寧ろそのガラパゴス状態に少しでも危機感を覚えて欲しい部分もあるのだが。そんな人たちが今、「クールジャパン」を掲げて世界市場に進出しようとしている。
某大臣のドレス騒動然り、まるで何がウケているのかが解っていない。ここは何度も触れているが、今海外で人気のある音楽・アニメ文化は元々、海外意識をしていなく、且つ依存していないものであること、特に海外に向けての戦略を立てていないものが自然発生的に評価され、結果、人気を博している。それを利用して、海外進出することは決して間違っているわけではないが、それを誤った理解でクールジャパンとして売り込んでしまうのはいかがなものか。日本国内で人気があるものでないと、海外進出してはならないという暗黙の諒解がある気がする。逆に言えば、日本で人気があるなら海外でも人気が出るだろうと。

それでふと、思い出したのが2年前のこの記事。

世界の音楽シーンを席巻しながらも、国内メディアでは黙殺されてきた”世界で最も知られる日本のバンド”Boris。その知られざる実態に迫る! | EYESCREAM.JP

Borisと言えば、Monoと並んで世界で一番有名な日本のアーティスト。だけど、国内の知名度な如何なものか?ヘヴィロックだから、マニアライクな音楽だから、と言うのはお門違いも甚だしい偏見でしかない。
このインタビュー、世界的人気のある日本のアーティストの発言ということで重みも説得力もあり、改めて読めば読むほど隅から隅まで興味深い話題が満載なのだが、やはり注目すべきは記事表題に対する答えの部分。

僕らは日本の音楽業界に参加してないし、「Borisの功績を伝えたところで私たちに何の得がある?」っていう話なんだと思うんですよ。だから、伝わっていかないですよね。

結局、日本のメディアにとってはインディーズのヘヴィロックバンドが海外でウケていることよりも、日本で100万枚売れているようなグループが海外進出したほうが、話題性も宣伝にもなる。実際、海外ウケがそれほどではなくとも、既成事実と書き方によっていくらでもどうにかなる。実際「○○が世界何十カ国でリリース決定!!」というニュースはよく見るが、その後のセールス実数等に関わるところに触れていることは皆無に等しい。
この辺りは諄いくらい述べているが、日本人が思っている海外での人気アーティストと、実際海外で人気のあるアーティストはかなり落差がある。

日本のほとんどのメディアに自主性や批評性はないですよね。ただここ数年、紙媒体がどんどん追い込まれてきて、状況は変わってきてるとは思う。

紙媒体は益々追い込まれてきて、今はネットによるニュースが主流になっている。そして、Twitterによる即効性。誰よりも早く情報をTwitterに流すことだけに集中してきている気がする。事実関係だけを述べる内容のない音楽ニュースだらけで溢れ返ってる。「ユーザーの取捨選択、ジャンルに捕われず、幅広いニュースを提供していきたい」なんていうのは建前で、結局質より量、数打てば当たる、やはりそこに自主性や批評性はない。平等性という言葉で逃げる、ちょっと皮肉めいたことを書けば、ユーザーから反感を買う、時に炎上する。それが怖くてニュースサイトは変なこと書けない。

ウェブデザイン関連、WordPressなどの情報を調べようとすると、「オシャレでクールなデザイン20選」のようなブログ記事が数多くヒットする。しかも内容はどれも殆ど同じ。海外の注目すべきデザインブログ記事のコピー&ペーストだ。そのコピペサイトを他のコピペサイトがコピペする。そんな予兆が音楽・エンターテインメント関連のサイトやブログに見えてきている気がする。

かなり前だが、かつて、近田春夫がこんなことを言っていた。

 みんなさ、音楽が好きってことより、応援したり非難したりするのが好きなんじゃないの。

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