渋谷系、ネオアコ、スウェディッシュ
──前回の渋谷系の続きの部分なんですが、“ネオアコ(ネオ・アコースティック)”というのも肝となるジャンルですよね。
ネオアコと言うと一般的には「アコースティックで小洒落た音楽」というイメージがあるかと思いますが。それは間違ってはいないんだけど、元々はニュー・ウェーヴ、ポスト・パンクの流れですからね。バンドで言えば、Aztec Camera(アズテック・カメラ)、Pale Fountains(ペイル・ファウンテンズ)あたりがよく名前にあげられるけど、そんな中、The Smithもネオアコの括りであることを忘れちゃいけませんよね。邦楽においてネオアコは、フリッパーズ・ギターのブレイクによって広まった経緯もあるから、それ以降の世代は「The Smithはネオアコ」と言ってもいまいちピンと来ないかもしれない。元々は80年代に「パンク以降の新しい感覚の音楽」である〈ニュー・ウェーヴ〉シーンの括りの新ジャンル、という解釈で日本の評論家が言い出した言葉であると。和製英語ですので日本でしか通用しない言葉です。
──日本ではフリッパーズ・ギターがネオアコの影響をかなり受けていたということで、言葉の意味が変わっていった?
というよりも、ネオアコという言葉自体が〈渋谷系〉という言葉が浸透してから広まった印象がありますね。リアルタイムのネオアコに関して言えば、熱心なフールズメイト読者レベルじゃないと知らなかったような気がする。ネオアコのレーベルと言えば、イギリスのRough Trade Records(ラフ・トレード)、Cherry Red Records(チェリー・レッド)なんだけど、80年代後半にはCreation Records(クリエイション・レコーズ)あたりの、後の90年代に繋がるオルタナ勢力が台頭してきましたから。それもあって80年代後半にはひっそりとネオアコは終息している。でも90年代、渋谷系の登場によって再評価、いや、そこではじめて市民権を獲たジャンルになったんじゃないかとも思ってるんですが。
──北欧、スウェディッシュ・ポップブームというのもありましたよね。
The Cardigansに代表されるような。QueenやJapanと同じで日本で火がついた後、世界中に知れ渡ったバンドなんですよね。ネオアコではないんだけど、いわゆる世間一般のネオアコのイメージって、案外こういうサウンドなのかなぁとも思えますね。のちのギターポップ、ラウンジミュージックあたりのお洒落な匂いのする音楽といいましょうか。それらの洋楽アーティストと日本の渋谷系という呼称と照らし合わせて、ライターの川勝正幸氏が「世界同時渋谷化」なんていう表現をしています。実際、日本の渋谷系ブームが直接世界に影響力を与えたわけではないのだけど、いろんな意味で渋谷系が確立された瞬間なのかもしれないです。
──サブカルチャーがメインストリームへ、ポップカルチャーになった瞬間でもあると。
渋谷系にしてもヴィジュアル系にしても定義が曖昧じゃないですか。そもそもジャンルを指す言葉ではないし。渋谷系と言えば、ネオアコのイメージが強いかもしれないけど、スチャダラパーも居るし、オリジナル・ラヴ(現在の表記は“オリジナル・ラブ”)やICEみたいなバンドも居たし。ジャンルというよりムーヴメント自体の呼称ですよね。気が付けば高野寛もいつの間にか渋谷系と呼ばれていたわけで。スガシカオも5年くらいデビューが早かったら渋谷系と呼ばれていたかもしれない(笑)。
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──オリジナル・ラヴの田島貴男さんは自分が渋谷系と呼ばれることに嫌悪感を示していましたよね。
そりゃそうだと思いますよ、自分の音楽を後から一つのムーヴメントに括られるのは良い気分じゃなかったはず。そこは黒服バンドが突如、ヴィジュアル系と呼ばれることを嫌ったのと同じで。古くはムッシュかまやつも当時の自分たちのことを〈GS=グループサウンズ〉と呼ばれることがもの凄くイヤだったと語ってますし。言葉が出来る前と出来た後の世代にギャップが生じるのは仕方ない、説明するときの解りやすさもあるけど、それと同時に偏見も生まれるし。
──川勝氏も言ってますけど、渋谷系におけるアートワーク、特にCDジャケットデザインにはそのカラーが色濃く現れてるんじゃないかと言ってますが。
アートディレクターの信藤三雄氏が有名ですね。フリッパーズやピチカート・ファイヴ、Mr.Children、松任谷由実……などの数多くのジャケットを手掛けてる方です。古紙っぽいマット紙、デジパックみたいな仕様は渋谷系の印象強いなぁ。信藤さんがプラケースの質感が嫌いだったという話は有名ですし。今では当たり前になっているけどトレイ側も透明になっているプラケース、つまり、CDを取りだしたときにバックインレイが見える形式を取り入れたのは信藤さんが最初だったのでは?という話もあります。同様にパンク〜黒服系にはアナーキー、BUCK-TICK、LUNA SEA、THE MAD CAPSULE MARKETSなどのアートワークを手掛けていたサカグチケン氏がいらっしゃいますよね。川勝氏は特殊ジャケットを流行らせたのは渋谷系だとおっしゃってますけど、三方背スリーブケースは黒服バンドの専売特許みたいなイメージもあったし。“デザインの斬新さ”という部分で、信藤デザインのピチカートファイブ『月面軟着陸』(1990年)、サカグチデザインのBUCK-TICK『狂った太陽』初回盤(1991年)はお二人のスタイルの個性の違いが良く現れている2タイトルです。この当時は渋谷系もビジュアル系も言葉自体はなかったけど、のちのそれぞれのシーン、音楽に繋がるデザインの世界観構築という影響力は大きいですよね。このお二人は新しいパッケージ文化、CD含めた音楽アートワークという分野を切り開いた人だと思います。でも、CDに特殊ジャケットを流行らせたのは米米CLUBがパイオニアですよね、写真集や8cmCD付けたり。音楽とアートを密接に繋いでいたアーティストでしたから。
──特殊パッケージ文化ってそもそも日本だけですもんね。
日本の包装紙文化や文庫本やコミックの表紙の上にさらに表紙カバーをつける、という世界でも類を見ない装幀がCDパッケージデザインという新しいスタイルを作ったとは思ってます。
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バンドマンの街、下北沢
──地名文化と言えば、〈下北系〉というのもありました。なんとなく、80年代のネオアコ、90年代のオルタナ、00年代のロキノンとその辺りを一通り網羅した象徴的な印象が強いのですが。
〈渋谷系〉のお洒落感に対して、〈下北系〉のガシャガシャした感じ。向こうはアコギで小洒落たコードを爪弾くなら、こっちはエレキでローコード搔き毟るぞ、みたいな(笑)。やっぱり「下北沢=バンドマンの街」という印象が強いですよね、憧れはシェルターワンマンでしたし。91年にシェルターがオープンして。下北を代表するレーベル、UK.PROJECT(ユーケープロジェクト)が設立されたのも91年。90年代に古着ブームがあったじゃないですか。雑誌BOOMとかで特集組んでたやつ。最初はアメ横だったけど、代官山、吉祥寺と来て最終到着点が下北沢だったと思う。90年代中頃の話。音楽的には世間が下北系バンドとして認知したのはZEPPET STOREだったんじゃないのかな。hideが見い出したバンドなわけだけど、その時に「下北なんかでやってる場合じゃねぇぞ」と発言してるんですよ、その語感から下北が当時の音楽文化地としてまだ確立されていなかったのかが解る。
──ZEPPET STOREって元々はUNDER FLOWER RECORDS(アンダー・フラワー)でしたよね、サニーデイ・サービスも在籍していた。
サニーデイのメジャーデビューが94年で。でも、ああいう70年代フォーク路線になって売れ始めたのは95,6年以降の話ですから。ゼペットがアンダーフラワーから1stアルバム『swing,slide,sandpit』をリリースしたのが94年、当時は殆ど売れてなくて。hideの目に止まったのが95年。『LEMONed』のコンピレーションで世に出たのが96年。
──これ、結構衝撃でしたよね。当時のhideファンは勿論、ロックファンでも日本のバンドじゃ絶対耳にしたことなかったサウンドだったと思いますし。
hideが洋楽のインダストリアルやデジロックを広めていた矢先のコレでしたから。だからhideからヘヴィなロックに目覚めた層も多かったけど、ゼペットでブリティッシュのギターロックに目覚めた人も多かった。今、現役の30歳代バンドマンの多くはギター始めたきっかけはhideだったり、LUNA SEAだったりっていう場合が多いんだけど、「じゃあ、なんでそういう音楽をやってないのか?」と訊くと「ゼペットに出会ったから」というギターロックバンドがもの凄い多いんですよ。たまに「ZEPPET STOREはもっと評価されるべきだった」という人が居るんだけど、私は充分すぎるほど音楽シーンに貢献したと思ってますけどね。反面、hideという大きすぎる名の元だったから、聴かず嫌いや音楽性においての誤解や偏見はあったと思うんだけど。
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ギターロック勢はスニーカー系バンドなんて言われてました
──下北系の象徴的な“ギター&ボーカル”というスタイルやテンションコードの浮遊感みたいな部分で影響受けた人も多そうですもんね。そのスタイル含めイギリスからの影響が大きいかとは思うんですが、ブリットポップブームにおける日本への影響力はどう見ます?
世界がブリットポップブーム真っ只中の時って、日本は渋谷系でしたよね。洋楽層には支持されてたんだけど、まだ一部のコアファンだけだった気がする。ブリットポップより前に、あったのはザ・コレクターズに代表される“ネオ・モッズ”というGSの流れになるのかな。当人たちはは「渋谷系になれなかった」と言ってるけど(笑)。そんなムーブメントもあったり。どちらにしても、UKの音楽は女の子ファンが多くて。男はUSオルタナティヴ、やっぱりNirvana信仰が強かったし。NirvanaからOasisへは中々行かないですよね。日本のシーンへのUKバンドの影響力は〈ブリットポップの終焉〉と言われ、ブリットポップからUSオルタナロックになった、BLUR『BLUR』(1997年)あたりくらいじゃないのかな、「ヤヴァイ、ヤヴァイ」言い始めたのは。同年に発売されたRadiohead『OK Computer』は賛否両論というか、「好き」と言うと「めんどくさいヤツだ」なんて変人扱いされることが多かったと思う。UKバンドがUSロック方向にシフトする頃に日本では「UKバンドがアツイ」という話になって、後追いされた気もするなぁ。その後にTravisやStereophonicsが出て来て。
──日本のバンドで言うと、スーパーカーみたいなバンドが出て来ましたし。
スーパーカーは出て来た頃はNirvana直系サウンドでしたけどね。スーパーカー、TRICERATOPSのようなギターロック勢は〈スニーカー系バンド〉なんて言われてましたね。ヴィジュアル系の着飾った感じに相反するラフなファッションスタイルと、当時の流行、スニーカーブームに掛けてる言葉なんですけど。〈ギターロック〉って言葉が出て来たのこの頃ですよね。スーパーカー『スリーアウトチェンジ』の店頭ポップに“ギターロック”と紹介されていて、その語感から新しいギターヒーローのロック、それこそMr.Bigみたいな音楽だと勘違いして買ってしまったみたいな話をいくつか聞いたことがありますね。意味合いとしては真逆ですよね、むしろギターソロがないロックであることが多い。本来は〈ブリティッシュギターロック〉〈UKギターロック〉なんだろうけど。“イギリス”の部分が省かれちゃった(笑)。これも和製英語で。向こうで“Guitar Rock”は通じないことはないだろうけど、それこそVan HalenとかCreamなど新旧問わずの、“Rock Guitar”としての意味で取られると思います。
──〈下北系〉から〈ギターロック〉として認知されていった。
あとはブリットポップ直系のpre-schoolやガレージオルタナ寄りのズボンズみたいな今まで日本にいなかった新感覚のバンドが出て来たり。the pillowsが『ストレンジ カメレオン』で今のスタイルに確立したのもこの時期、全部96年〜97年の話ですね。98年にWINOが出て来て、GRAPEVINEがブレイクして洋楽層をガっと掴みましたし。この頃じゃないですかね、下北系〜ギターロックが確立されたのは。
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──1996年と言えば、近年の日本の音楽シーンに影響を与えたバンドがデビューしてますが、その辺りはロキノン系の話と繋がるので、また次回ということで。