偉大なるプロデューサーが円盤に乗ったよの巻 - ジェイロック回顧主義 #11

執権:佐久間正英さんが旅立たれたということで。やっぱり、J-Rock史には欠かせない存在、寧ろJ-Rockを作ったと言っても過言ではないお方だよねぇ。

将軍:音楽好きの健全な日本人なら何かしら氏のプロデュース作品を耳にしたことがるはず。

執権:ということで、今回は佐久間正英ワークスについて触れていきます。

音楽プロデューサーという仕事

──今プロデューサーと言えば、楽曲も作って編曲もやってという、それこそ中田ヤスタカみたいなクリエイターなイメージが強いよね。やっぱ、90年代のTKブームの影響が強いのかなぁ。

ミュージシャンじゃなくとも「小室プロデュース」であれば売れる!みたいな。小林武史もなんだろ、あのちょっと渾沌としたギターサウンドというか、どちらにしてもプロデュース色が強かったじゃない?個性というか。それはさ、スタジオミュージシャンもそうだけど、今はその人のカラーが欲しくて頼むわけだけど、昔はプロデューサーもスタジオミュージシャンも何でもできなくちゃいけなかった、時代もあるんだけど、そういう意味では佐久間さんは当時の職人方というか音楽の先生的なプロデューサーだったよ。

──確かに、改めて見返すとこんなバンドもプロデュースしてたんだと思うことがある。日本で〈音楽プロデューサー〉という言葉が世間一般に浸透したのって90年代のTK以降だとは思うんだけど。でも洋楽ファンの間では「ビートルズにジョージ・マーティンあり」っていうのがあったじゃん。80年代にU2がブライアン・イーノのプロデュースで成功したり、その辺含めて、日本の音楽シーンでもプロデューサーの役割っていうのがクローズアップされてきた流れでの佐久間さんの登場だったのかな。でも当時はあまり、雑誌なんかでも話題になることなかったし、CDやレコードのクレジットをくまなく見ないと気が付かなかった。

単純にプロデュースという言葉を見れば企画発案的な意味合いもあって。秋元康はコンセプト立てと方向性は決めるけど楽曲は作らない、つんく♂はコンセプトも作詞作曲もする、中田ヤスタカは作詞作曲、編曲トラック、ミックス、マスタリング、楽曲制作にまつわることすべてやるけど、コンセプト立てまではしない。だけど佐久間さんは楽曲制作もしなければコンセプト立てもしない、素人から見れば、じゃぁ、音楽プロデューサーって何するの?って話になっちゃう。非常に解りにくいポジションだったかと。
バンドブームがあって、それこそ若い連中が色々出てきた。でもレコーディングや楽曲制作に関しては素人なわけ、ヘタすりゃ演奏技術も。そこでそれをまとめることのできる人が必要になった、それが音楽プロデューサー。
「このコード入れると雰囲気出るよ」「こういう録音の仕方があるんだよ」という指南役ね。若いバンドマンは知識も経験も乏しいし、逆にキャリアの長いアーティストは固定観念にとらわれちゃうところもあるから、そういう第三者からの視点というのは重要なわけ。

プロデューサーとディレクター

──そうだ、音楽制作現場におけるプロデューサーとディレクターの違い、これ解らない人意外と多いんじゃないかな?

ディレクターというのは、原盤(音源)制作における責任者。通常は制作会社(レコード会社/マメジメント事務所)の人間がやります。音源を出すことが決まったら、それにまつわるレコーディングスケジュール、使用スタジオ、諸々全て決める。そこでエンジニアは誰がいいとか、プロデューサーを誰にお願いするというのもディレクターが決めます。

──要は現場監督だよね。

そう、だからどっちが偉いというのはないんだけど、プロデューサーでもディレクターに従わなければならない。もっと良い音源を作りたいからレコーディングを延長してくれとか、あの機材を用意してくれと言ってもディレクターがOK出さないとダメ。テイクや音源に関してもプロデューサーが良いと思っても、ディレクターがダメと思ったらやり直ししたりってこともある。そういう最終ジャッジをする仕事でもある。作品としては勿論だけど、そこに商品として価値があるか否かを見極めること、ディレクションするってことがディレクターの仕事です。細かいところは会社や現場によって違うんだけど。外部プロデューサーを立てない場合はディレクターがプロデュースを兼任する場合も多いし。

──アーティストのマスターベーションにならないようにあくまでビジネスとして音楽を見極めるってことですな。

そうそう、プロデューサーはアーティスト寄りでディレクターはあくまで会社側ビジネス的観点でも考えなくてはならない。

佐久間プロデュース作品

──話は戻って、佐久間プロデュース作品の話。世間的に有名なのはGLAYとJUDY AND MARYかな。

GLAYはさ、インディーズアルバム『灰とダイヤモンド』とメジャーデビューシングル『RAIN』が同時発売だったのかな。『RAIN』はYOSHIKIプロデュースだったんだけど、如何にもなアレンジだったじゃん。で、その次の『真夏の扉』が土屋昌巳プロデュース。『灰とダイヤモンド』にも収録されているんだけど、楽曲構成の尺が短くなってるんだよね、最初違和感あったんだけど、慣れると確かにメジャー盤のほうがスッキリして聴きやすくなってるわけですよ。

──如何にもプロの仕事って感じかな、無駄なものは省く。

そうそう、そんで次の『彼女のModern…』が佐久間さんなんだけど、あーって感じ。良くも悪くも。で、『Freeze My Love』でハイ、と。

──その「ハイ」は穏やかじゃないな。

こういう言い方すると語弊があるかもしれないんだけどGLAYってロックバンドであることを捨てたバンドだと思ってるのね、悪い意味じゃないよ。普通ロックバンドって、そこから連想するサウンドがあるじゃない。当時のその界隈で言えば、LUNA SEAのSUGIZOの流暢なギターだとか、ラルクのあのうねるベースにディレイのギターとかさ。でもGLAYはサウンドよりも歌だったり楽曲が連想されるんだよね。

──ああ、それはあるかも。それこそ『BELOVED』のようなバラードとか。

勿論、そこは元々のソングライティングセンスなんだけど、それを活かすためにバンドサウンドよりもアレンジを取った。普通はさ、バンドで出来ることを優先するんだけど、GLAYは楽曲優先でバンドで出来ないこともやろうとした。だから曲が呼べば、打ち込みも鍵盤もストリングスもガンガン入れる。普通ロックバンドはそういうのイヤがるもんね。

──それを導いたのが佐久間さんであり、『Freeze My Love』であると。確かにあの曲、ギターなくとも成立するもんなぁ。

佐久間プロデュースだけど、佐久間色みたいな共通項はない

──ちょっと遡ってみようかと思うんだけど、やっぱり佐久間プロデュースで避けて通れない、BOØWY。

その前にP-MODELも手掛けてるんだけどね、まいいか。でも3rd『BOØWY(1985)』、これ申し訳ないけど、多分ファンの間では人気ないかもしれない。別に悪いアルバムというわけじゃないんだけど、全アルバムで人気投票するとしたらという意味で。丁度パンク〜ニューウェーヴからビートロックが確立される過度期で重要なアルバムであることは間違いないんだけど。

──でもそう考えると、そういうバンドの過度期を手掛ける場合が多いかもなぁ。THE BLUE HERATSの2nd『YOUNG AND PRETTY(1987年)』もTHE STREET SLIDERSの5th『天使たち(1986年)』もブレイク直前だったし。ああ、でもだからアーティストを育てる立ち位置的な印象が強いのかな。

小林武史とか、最近だと亀田誠治みたいな、大体音聴いただけで何となくその人のクセというか趣向というか、プロデュース臭がするんだけどね。ブルハにしてもスライダースにしても佐久間プロデュースで何が変わったのか、イマイチよく解らないところがあるんだよ。並べてみても佐久間プロデュースだけど、佐久間色みたいな共通項はないもんね。まぁ、あくまで聴いたときの表面上のサウンドの話ね。内向的な部分で言えば、技術面含めて色々あるんだろうけど。そういう意味では一歩下がった部分での存在ではあったと思う。

──ブルハのスライダースもギターが全面に出てる体育会系ブルースロック。佐久間さんはどちらかと言うとプログレ、ニューウェーヴのインテリ系の人。だからと言うわけじゃないけど、自分色に染めるというよりもあくまでアーティストありきな陰の部分に徹していたのかもしれないねぇ。

ただね、体育会系バンドをインテリ系にしたことが一度だけあるの、JUN SKY WALKER(S)『STAR BLUE(1992年)』なんだけど。これがね、今までのジュンスカを覆す、宮田和哉の十八番であるビブラートを一切封印して、サウンドもあの元気のあるパンキッシュさが皆無で小奇麗にまとめてる。これは佐久間氏の提案らしいんだけど。だからファンの間では相当賛否両論だった。後々になってこれはこれでアリかなと思えるようになったけど、当時は物足りなさを感じちゃったなぁ。ジュンスカ、こういうバンドになっちゃうの?という不安もあったし。でも、その後のツアーではいつも通りで安心したけどさ。
でもこの佐久間ワークスでプロデュースということに目覚めた寺岡呼人がバンド脱退しちゃう引き金になっちゃいまして。

──のちにゆずでプロデューサーで有名になるか。良くも悪くも先生が導いてしまった。賛否両論と言えば、筋肉少女帯も。

『エリーゼのために(1992年)』でしょ、あれも当時はナシだったなぁ。でもその次の『UFOと恋人(1993年)』で逆転したよ。筋少の持つ、プログレ感が爆発した傑作。個人的に佐久間作品ではダントツだなぁ。なんとなく四人囃子テイストあるよね、『空飛ぶ円盤にに弟が乗ったよ』から18年越しで恋人になって少女人形を買いました。

プレイヤーとして

──四人囃子の話が出たところで、プレイヤーとして側面も話しておきたいんだけど。

リアルタイムじゃないよ、遡って聴いてたけど、何か『空飛ぶ円盤にに弟が乗ったよ』が凄い恐い曲だった。小学校高学年くらいの時かなぁ。一風堂は割とすんなり聴けたんだけど。四人囃子の良さに気が付いたのなんてもっとずっと後だよ。

──子供の頃、何となく恐い曲ってあったよね。

うん、筋少の『福耳の子供』っていう歌が凄い恐くてねぇ。あと『釈迦』のレコードのジャケットも苦手だった。曲じゃなくて絵だけど。

──普通、小学生が四人囃子や筋少なんて聴かねぇから!
ところで佐久間さんのベースプレイは生で観たことある?

あるよ、真島昌利の『RAW LIFE』のツアーサポートやってた。マーシーはバンダナで缶バッジだらけのジェケット羽織ってボロボロジーンズでワークブーツ、その横でバシっとメガネスーツでジャズベ弾いてる佐久間さんは鮮明に覚えてます。

──ベーシストのイメージが強いけど、ギタリストなんだよね?

氷室京介『NEO FASCIO(1989年)』聴けよ、あれマジで凄いから。佐久間ギターの神髄だと思ってる。ヒムロックがソロ活動するにあたって、なんだろやっぱり布袋寅泰という強烈なギターのイメージが強いから、それを払拭すべきサウンドが必要だったんだよ。布袋サウンドに無かったもの、だから1st『FLOWERS for ALGERNON(1988年)は打ち込み+シンセとディストーションギターだったわけ。で、佐久間プロデュースの2nd『NEO FASCIO』はそこをさらに深くダークな世界観を演出している。そこに絡む無機質なギターがね、非常に説得力あるんですよ。布袋ではないタイム感とアーミング。あれで初期ヒムロックのスタイルが確立したよなぁ。

──黒夢でも弾いてるよね。

『feminism(1995年)』ね。丁度二人になっ時でポップ色が強くなった。まぁ、ハードロック畑だったギターが居なくなったとうことでそれは必然だったとは思うんだけど。結構、佐久間ギターのシングルコイルサウンドが良い感じで攻撃的ですよ、『Unlearned Man』『カマキリ』とかさー。

プロをも震撼させた逆アングル・ピッキング

──佐久間さんと言えば欠かせないのが、プレイヤーとしての逆アングル・ピッキング。当時GiGSで大々的に特集していてかなり波紋を呼んだの覚えてるよ。

そうそう、現・BARKSの編集長だったと思うんだけど、当時GiGSの編集やってて。あの人、ジャパメタで有名な元プロギタリストなんだよね。その人が逆アングル・ピッキングにしたら全く弾けなくなって嘆いてた。

──ほら、知らない人のためにそもそも逆アングル・ピッキングとは何かを説明しないと。

ギターやベースを弾くときに弦に対してピックを並行に当ててピッキングしましょうという基本中の基本なんだけどね。それが日本人は何故か前下がり、ピックのあたる角度が1弦側に下がってしまっている場合が多いと。こっちのほうが摩擦係数少ないから早くは弾けるとは思うんだけど、音の芯が出ない。だから並行に当てるようにするため、大袈裟気味で強制的に逆の角度にピックが当たるように親指を反らすイメージで引っ掛かる感覚をつかんでピッキングしましょうと。

──これ実際日本人に多い傾向なの?

何故かね。自分の周りもそうだった。みんな何故か音小さいの。要は前下がりで撫でるようにこするように弾いてたんだよね。私はアコギから入ったから始めから並行、逆アングル気味だったから気付かなかったんだけど。ほら、前下がりじゃ、長渕剛の巡恋歌の最後のストロークの嵐、出来ないでしょ?だから自分は自然とピッキングは自信あったんだよね。

──アコギ弾きはそうか。カッティング系の人もちゃんとしてるよね、じゃないとBOØWY『ホンキー・トンキー・クレイジー』のあのノリは出せないし。

でも本当に日本人だけなんだよね、それ見て気が付いたんだけど。結構プロのミュージシャンでもみんな前下がりで弾いてる人の多いこと。でも海外はクラプトンもジミヘンも、あんなにギター位置の低いジミーペイジですら逆アングル気味だった。

──速弾き系の人でもマーティー・フリードマンも極端すぎるくらい逆アングルだよなぁ。

うん、だから解んないけどもし、これ見て自分前下がりだなと思った人が居たら直したほうがいいよ。音もノリも絶対良くなるから。

──オススメ逆アングル練習法ってあるの?

強制的にやるならね、真島昌利のピックの持ち方、指3本でピック持つの。親指と中指で挟んで人差し指は添えるだけ。これやると強制的に逆アングルになります。めっちゃ弾きにくいけど。スティーヴ・モーズもたまにやったするね、、慣れると指先のコントロールしやすくなる。

最後のほう、よく解らなくなってしまいましたけど、
佐久間正英さん、一方的でしたが大変お世話になりました、本当に有難うございました。

この記事をシェア
関連記事<広告>

どうせ何か買うならココ↓踏んでから買ってくれるとうれしい