様々な波紋を呼んだFNS歌謡祭の長渕剛出演。いろんな意見があって当然だと思う。だけど、自分の意見を自分の言葉で自分の歌で歌うことができる、そんな当たり前のことがなぜかできなくなっている今の時代に、それを当たり前のようにやれるアーティストって、やっぱり貴重なんだ。あの歌詞をテロップ入りで流したフジテレビの大英断にも拍手。
長渕氏とは光栄にも何度かお仕事をさせていただくことがあったり、インタビューなどで直接お話しを伺う機会もあった。ちょうど今年9月の還暦を迎えたライブであの“なんかすごい乾杯”を観たこともあって、こういう時代だからこその“求められる歌”のあり方に考えさせられていた矢先でもあった。
☞ 長渕剛、ファンとの信頼関係を確かめた夜 決意の「乾杯」歌ったスペシャル公演レポート | Real Sound
長渕氏のああいうところが苦手な人も多いだろう。だけど、あの出演は「伝わる人にはちゃんと伝わった」はず。そう思っていたら、放送終了後に古くからの友人でもあるシンガーソングライターから久々に連絡があった。「僕も頑張らなきゃと思いました」と。──彼の名は迫水秀樹。音楽ビジネスやシーンに疑問符を抱き、己の信念を貫いて活動しているアーティストだ。ギター1本で世界を放浪している。(☞ ギター1本で世界92カ国を回った男ーーシンガーソングライター・迫水秀樹が見た風景)
彼は長渕ファンというわけではなく、たまたまテレビを見ていて長渕の姿に心揺さぶられたという。それで思わず長渕ファンである私のことを思い出し、連絡をくれた。なんだか嬉しかった。
私も音楽業界のあれこれに嫌気がさし、そこから出た人間だ。逃げ出したともいう。戦って負けたのかもしれない。制作やマネジメントといった、アーティストを手助けしていく仕事をしてきたわけだが、ビジネスとして割り切れるタイプではなく、利害を無視した個人的な感情が入り混じってしまう性格でもあり、おかげでたくさん失敗もした。いわゆる音楽業界人としては向かないタイプである。何度か振りかざした刃もいつしか懐に収めてしまったわけだが、だからといってそれを錆びさせるつもりは…… うん、まだないな。そんなことを最近よく考える。
アーティスト精神論みたいなことを書くのはもうやめようとは思っていたのだが、最近いろいろ感じさせられることも多く、、、やはり私はそういう性分なのかもしれない。
自主レーベルで独自展開をするオンリーワンなバンド
レコード会社やマネジメントオフィスに頼ることなく、アーティスト自身がセルフプロデュース型のインディペンデントな活動ができるのであれば、それが一番だと思っている。べつにメジャーを否定するわけではない。長いモノに巻かれるのではなく、逆にそこを利用できるくらいのパワーと知識が大事だということである。
90年代後期からインディーズで活動するバンド/アーティストが一般化してきた。メジャーに負けないくらいのセールスを叩き出すことも珍しくはなくなった。しかし、それは本来の“自主制作”的な意味合いを超えたインディーズ・レーベルの肥大化を招いてしまった感も否めない。そして、インターネットの動画サイトやSNSの普及において、アーティストの表現方法と可能性は広がった。ただ、誰もが容易く自由に表現できるようになった反面で、その中から突出していくことは難しくなったともいえる。
そんな中で近年、tricotや感覚ピエロといった、本来の意味での“自主制作=インディーズ”を掲げながら独自の発想力とフットワークの軽さでシーンを賑わせているバンドも目立つようになってきた。誰もやってないことをやる、オリジナリティー、オンリーワン。バックドロップシンデレラもそうした己の道を開拓しながら活動している素晴らしいバンドの一つであり、先日そうした彼らのDIY精神について深く訊いた(☞ バックドロップシンデレラが初ベスト作で示した「DIY精神」、そしてインディーズバンドのあるべき姿 | Real Sound)。こうしたバンドは、最も正しいインディーズバンドとしての形だと思っている。
「ファンが100人しかいなくとも、その100人から毎月5000円をもらえれば活動ができる」 ──それがアーティストという職業でもある。ただ、それを成立させるためにはファンやリスナーと確実なる信頼関係を築くことが前提であり、そう容易いことではない。カリスマアーティストとそのファンを指して“宗教的”であるとか、アイドルやヴィジュアル系バンドのファンを“ガチ恋”だとか“盲目”だとか揶揄することがあるが、本来それだけ熱狂的なファンを生み出すことのほうが大事でもある。応援するほうだって、盲目になるくらい夢中になれるほうが絶対楽しいのだ。
熱狂的なファンを持つ、アイドルの場合
「私を応援してくれるファンの皆さんは、私の夢を応援してくれる人ばかりなんです」 ──とは、女優・八坂沙織(ex. SUPER☆GiRLS)が先日出演したラジオ番組内での言葉。「女優活動のためにアイドルからの卒業を決めたとき、ファンの反応はどうだったか?」という質問に対しての返答である。ファンからすれば当たり前の気持ちではあるが、演者側がこうして発言することはなかなかできないことだ。彼女が敬愛する元宝塚女優・音月桂の番組内であり、それまではタジタジだったのに、凛々しく言い放ったこの言葉に思わずハッとさせられた。ファンに対する信頼と誇りがあるからこその金言だった。私が彼女に惹かれる理由は多々あれど、何よりもこうした言動や信念、その生き様がいちいちカッコイイのだ。彼女もまた、どこにも所属せずにたった1人で活動する表現者だ。
どこのファンが一番すごいかなんて比べるものではないのだが、アップアップガールズ(仮)のファンがものすごくアツすぎることは、アイドル好きなら誰もが知っていることだろう。今年11月8日の日本武道館公演はまさにそれが顕著に現れた夜だった。
メンバーがやりたい演出の資金繰りのためにクラウドファウンデイングを行った。結果、目標額の倍以上となる金額が集まった。勢い余って抑えた会場なのかもしれない、無謀なのかもしれない。だけどここは泣く子黙る日本武道館だ。誰がなんと言おうと楽しんだもん勝ち。そんな気持ちがメンバーからもファンからも溢れ出ていた素晴らしいライブだった。来場者4158人。端から見ればガラガラもいいところだが、レコード会社や事務所がお膳立てした広告的意味合いの武道館公演なんかよりよっぽど価値があるものだ。あの場にいた全員が「最高だった!」と胸を張って言えるであろう、愛しか存在しないライブだった。
いつからかアーティストは音源を出してライブをやる職業に成り下がってしまったように思う。本来それは音楽を売る、もっといえば夢を売ることの手段の一つでしかない。音源が売れなくなった。ライブ市場は近年盛り上がっていると言われているが、都内のライブハウスが連日連夜賑わってるわけではないので、局地的な盛り上がりなのだろう。どちらにせよ、レコード会社やメディアの作る“ヒット”はなくなろうとしている。
アーティストは生み出したものに「価値や意味を見出してもらえるか?」ということであり、ファンはそれに対して「お金と時間を割くことができるか?」ということだ。取捨選択は精確になっている。いかに信頼関係を築くことができるか? 最後に笑うのはそれができるアーティストとファンなのだろう。