BUGY CRAXONE・すずきゆきこさんのインタビューを担当させていただきました。
ブージーのファンはもちろん、バンドを長く続けるということ、その変化を含め、アラフォーに差し掛かったロックファンには刺さる内容だと思います。
わたしとブージー
BUGY CRAXONEはデビュー当時から大好きなバンド。幾度となく胸倉をつかまれてきた。とくに「NORTHERN ROCK」「NEW SUNRISE」には、何度助けられたことか。今でも落ち込んだとき、むしゃくしゃしたときによく聴いて励まされている。
私と同世代でもあったり、その紆余曲折な活動は、勝手ながら自分が年を重ねていくのと同様に変化を遂げていった感もある。ときにその変化を受け入れられぬこともあったんだけど、嫌いにはなれぬというかなんというか。そんな感じだったから、今回の再メジャーデビューは感慨深い。
バンドの性質が変わった。鈴木由紀子が変わった。昔を知っている人からすれば、今のブージーは「丸くなった」とかいろんなことを感じているのかもしれない。自分もなんとなくそう思っていた。でも、『ナポリタン・レモネード・ウィーアーハッピー』(2014年)[wp-svg-icons icon=”new-tab” wrap=”i”]を聴いたとき、いろいろ腑に落ちたんだ。
かつての甲本ヒロトを思い出した。「あの娘にタッチ」ってなんだよ。パンクロックを教えてくれた人が他愛のないことを歌っている。アルバム『HIGH KICKS』(1991年)を聴いたときに感じた“コレジャナイ感”。野太い歌声は、ヘロヘロでひしゃげたような歌い方になってしまった。当時はその理由がよくわからなかった。でも、THE HIGH-LOWS〜ザ・クロマニヨンズと、一環とした姿勢を通して、ようやくその理由がわかったからだ。
ブージーに夢中だった日々
私がBUGY CRAXONEを知ったのは、デビュー当時に出演していたテレビ番組だった。細っいジーパンの脚蹴り上げながら、大口開けて吐き捨てるように歌う金髪姿の鈴木由紀子に一発でノックアウトさせられた。攻撃的でありながら、耳に痛くないそのバンドサウンドにも大きく影響を受けた。当時、バンドをやっていた自分は、笈川司と同じギターを買った。GretschのRound Upだ。
ブージーは恵まれたメジャーデビューだったと思う。インディーズで地道に活動して満を持して……、といった形ではなく、コンテストで入賞してメジャーデビュー。PERSONZ・本田毅のプロデュースだったり、ドラマを含めたタイアップであったり、メディア露出も多かった。それでいて、レコード会社にイジられてる感は皆無だった。サウンドやバンドの姿勢ともに最高にロックで最高にカッコよかった。
しかし、セールス的に成功したとは言い難かった。チバユウスケ(thee michelle gun elephant)やWINOといった当時新進気鋭だったアーティストとのコラボや、audio activeのリミックスは起死回生を狙う企みがプンプンしていたし、宣伝規模がだんだん縮小されていくのは目にも明らかだった。ライブ自体もソールドアウトしなかった渋谷クラブクアトロ以降、気がつけば下北沢シェルターがホームになっていた。
なぜ、ブージーがメジャーで良い結果を残せなかったのか? それはよくわからない。ただ、考えられる理由があるのなら、“ロックバンドとして本物すぎた”からだろうか。正直、メインストリームでウケるような音楽性ではなかったし、当時、下北系〜ギターロックと呼ばれていたようなオルタナティブロックバンドが、ブリットポップの洗礼を受け、メジャー感を出していく中で、ブージーはひたすら硬派な姿勢を貫いていた。洗練された煌めくメジャー感とは相反するロックバンド特有の野暮ったさがあった。そこが最高にカッコよかった部分だったが、大衆的には見れば受け入れがたいところでもあったかもしれない。
事実上、メジャー最後のアルバム『NORTHERN HYMNS』(2002年)[wp-svg-icons icon=”new-tab” wrap=”i”]はそうしたフラストレーションや歯がゆさを全力で叩きつけるような負の感情や、どことなく漂う場末感が炸裂している。紛れもなく、日本のロック史上における名盤中の名盤だ。前作までと比べると、レコーディング環境の変化がわかるような明らかに劣ってしまった音質も、反面でさらに研ぎ澄ました生のバンドサウンドを浮き彫りにするのに一役買っている。
そして、インディーズへと活動を移したブージーはロックバンドの闘志をたぎらせながら、精力的なライブ活動はもちろん、派手さはなかったものの良アルバムを作り続けた。当時はまだブレイク前の知る人ぞ知るような存在だった怒髪天・増子直純のレーベルへの移籍には驚きを隠せなかったが、相変わらずの活動に、環境が変わろうと揺るぎない信念も感じた。
ブージー離れ、そしてまた、
そんな中、ブージーから次第に心が離れている自分がいた。それは何故だったのかあまりよく覚えていない。歳のせいなのか、環境のせいなのか、趣向が変わったのか、明確な理由はわからない。とにかく、都内近郊のライブには必ず行っていたライブも、昔ほど足が向かなくなくなった。
3年ぶりにリリースされた『Joyful Joyful』(2012年)[wp-svg-icons icon=”new-tab” wrap=”i”]を聴いたとき、「これは自分の好きだったBUGY CRAXONEではない」と思った。しかし、不思議とショックはなかった。バンドの変化に薄々感づいていたのもあったし、かと言ってその変化を非難するのも違う。バンドだって長く活動すれば性質が変わるのは当たり前だ。
べつに嫌いになったわけではない。好んで情報を追うことをやめた、というほうが正しい。だから新譜や新しいミュージックビデオが出たと聞けば、なんとなく聴いてみる。そういう音楽の聴き方の一環としての緩い距離感になった。
しかし、再び心を突き動かされたのだ。
なんとなく聴いた「ナポリタン・レモネード・ウィー アー ハッピー」を聴いたとき、憑き物が堕ちたように我に返った自分がいた。
呪文のようにひたすら繰り返されるその言葉。アメリカの家庭ではごくごく当たり前のようにある贅沢でもないナポリタンとレモネード。それだけあれば幸せってことか。すずきゆきこが小難しい言葉を使わなくなったのも、ひらがな/カタカナだらけになったのも、なんかいろいろわかった気がした。遡ってあらためて『Joyful Joyful』を聴いてみる。ああ、そういうことか。
昔は胸倉をつかまれていたが、今度は遠くのほうであざ笑っているかのようだ。おそらく、向こうからこちらのことは見えてないのだろう。ただ、こっちからは向こうが鮮明に見える。その光景がとても羨ましかった。
急に今のブージーが観たくなった。ただ、もう「NORTHERN ROCK」や「NEW SUNRISE」は歌わないんじゃないだろうか。そんな風に思っていた。
何年ぶりだろう。ブージーのライブを観た。「NORTHERN ROCK」も「NEW SUNRISE」もやった。全然変わってねぇじゃねぇか。ただ、バンドサウンドは当時よりも強靭だ。BUGY CRAXONEは今も昔も最強のライブバンドだった。
そんな矢先のメジャーデビュー決定だった。
「ブルーでイージー、そんでつよいよ」タイトルも最高だし、「なめんなよー!」の第一声を聴いたら、心の中で思わずガッツポーズが出た。
その昔、渋谷セブンスフロアで話しかけたら睨まれた人に、10数年経った今インタビューした。
めちゃくちゃ尖ってた鈴木由紀子ではなく、物腰が柔らかくなったすずきゆきこになっていた。
だけど、最高にカッコよかった。