思うことは多々あれど、なんといえば良いのかわからない。ただ一つだけ言いたいことがあるとするのなら、この楽曲の世界観とグループとしてのビジュアルは最高だ。
そして、この頃のSUPER☆GiRLSのカースト上位女子たちとハイクオリティ楽曲が織りなす無敵感もハンパないよな。
正直なんだかなぁという年度末の脱退&卒業劇でした。
女性アイドルグループが男性アイドルグループのように、歳を取ってもずっとアイドルで居られる、そんな未来があってもいいんじゃないか?と思っていた時期がありました。しかし、その筆頭格でもあったBerryz工房が無期限活動休止。そして、まさかの永遠の男性アイドルグループと思われたSMAPが解散なんていう事態が起こりまして。前者は女性アイドル特有の制約や縛りの多さによる難しさ、後者に関しては本人とは別のところでの“ザッツ・芸能界”な力関係、悪い言い方ですが、あくまでアイドルというのは大人の敷いたレールを走るものなんだ、ということを改めて思い知らされた事案。「アーティスト>アイドル」だなんて思っちゃいませんが、例えばこれがロックバンドであったのなら、どうだったんだろうなんて思ってみたり。だって、再結成したものの、あれだけ空中崩壊していたX JAPANがなんだかんだちゃんと活動していて、むしろ結束が固まっているのを見るとそう思います。合成ではない5人揃ってのアー写やらが出回るなんて当時知ってたら考えられない大事件なわけでして。
さてさて、ここ最近執筆した記事がそうした諸々含めて考えさせられることがあったので、追記的な意味を含めて改めて触れたいと思います。
八坂沙織が示す、アイドルから表現者になるということ
元SUPER☆GiRLS・八坂沙織さんの魅力について書きました。この人の歌や演技が好きというのはひとまず置いておいて、表現者として明確にやりたいことがある人は美しいし、なによりも恐ろしいほど強いんだ。
アイドルになりたい理由は多々あれど、その先に何を見据えるのか。卒業後もずっと輝いていてほしいわけですよ、見ているほうとしては。なんとなくタレントやったり舞台やったり……、向き不向きは別として、「本当にそれがやりたかったの?」なんて思う人も多かったり。でも、中途半端なことやっていたら、どんどん淘汰されてしまう世界でもある。
八坂沙織という人を見ていて思うのは、歳を重ねてますますギラギラしていってるなということ。同年代の元アイドルや女優に比べるとまったく守りに入っていなくて、より刃を研ぎ澄ましてる。たまにそれが怖くなるときがあるんだ。次の話題にもつながるところなんだけど、女性アーティストは己のエゴや欲望をどう昇華していくか?というのが非常に重要だと思っていて。そういう意味でも、魔性的な部分と狂気性、ときに退廃的な危うさをも匂わせる近年稀に見る女性アーティストだなと思います。この後に及んで何やらかしてくれるのかわからないと思わせてくれる。まだまだ未知なポテンシャルも兼ね備えていて、今後も追い続けていくのが楽しみで仕方ない。
怒髪天とひめキュン──バンドとアイドルの美しき関係
怒髪天とひめキュンフルーツ缶の楽しくも熱い対談を担当させていただきました。「“イズム”を受け渡す」なんていうまさかの展開になっております。巷に蔓延する“コラボ”や“楽曲提供”とも異なる、それこそ、表現することすべてを作り出すロックバンドと、他人が作ったものを表現するアイドルという相反するもの同士が融合したひとつの美しい形だとも思います。いち企画ビジネスで終わらないこの関係は両グループのファンならずとも、ここ数年でアイドルにハマったロックおじさんたちにはグッとくるものがあるはず。
それでなくとも、増子兄ィのお話はいつも興味深いのですが、
女の子は自分の欲望であったり、エゴだったり、わがままでいいと思うんだよ。女性アーティストと呼ばれる人は、そうしたものをどう昇華していけるかということが焦点でもある。だけど、アイドルはそこがNGとされている。すっごくもったいないことなんだよね。
周りからどういうことを求められているのか? というのは知ったこっちゃないんだよ。我々がやりたいことをやる、我々が欲しいものを作る、というだけの話。
などなど、今回も金言の連発ですので、アイドルファン以外もどうぞ。
ザ・コレクターズが教えてくれた“武道館”の価値
THE COLLECTORSの武道館公演。本当に外タレのようなスケール感でこざいました。昨今はいろんなアーティストの武道館やアリーナクラスのライブに関して食傷気味になっていたんだとあらためて思った。後方席でもちゃんと見えるようなモニター、ステージ全体を取り囲む要塞のようなトラスに囲まれたステージ……そんなものはなかった。必要とすら思わなかった。ド派手な演出も証明もステージセットもいらないんだ。ただただシンプルに、そのどデカイ存在感を魅せつけてくる。本当にふさわしいアーティストが武道館に立つとこうなんるんだと。
最近、flumpoolの「アイドルの武道館〜云々」発言が炎上してましたけど。言葉足らずなのか、出どころが出どころなので、一語一句あっているのかは知らないけれど、言わんとしてることはすごくよく分かる。猫も杓子も武道館状態に憤りを感じてるだけなんだ。それこそ、アイドルは大人の敷いたレールの上を走るわけで。その大人の甘やかしにムカついてるんだと思う。それは私も同じ。武道館の価値を下げているのはアーティストではない、その周りの業界人なんだ。
だからこれは、実力も人気も武道館に及ばないグループが、話題性や宣伝目的で行う大人の仕掛けた公演に対する皮肉なんだと思う。それがここ数年露骨にアイドルが武道館やってるのが目立っているだけで、バンドブームの時はよくわからんバンドがみんなこぞって武道館やってた。実際みんな「武道半」だの何だの揶揄してるじゃないですか。
flumpoolというバンドは大阪で地盤を固めていたものの、デビューに際し自分たちの楽曲を大人たちに否定され、「楽曲提供なんかで売れるわけないだろ」と思いながらも事務所の意向に背くことはできず、半ばヤケでリリースした「花になれ」が大ヒットしてしまったという、ロックバンドとしてはなんとも屈辱のデビューを経験したバンド。擁護するわけじゃないけど、そうしたもろに“ザッツ・芸能界”を体感したバンドが発した言葉と考えればまた別の意味に聞こえてくるのかもしれないよ。